前々回のつづき。
レンタカーでグスク巡りをした日、那覇市観光協会が主催する地元ガイドと街を歩く「那覇まちまーい」のナイトツアーに参加した。
まずは見栄橋駅の近くで車を返して宿に荷物を置き、集合場所の「てんぶす那覇」までブラ歩き。
ゆいれーる見栄橋駅のすぐ脇にあった小山に惹かれるものがあった。
駅前の那覇市市民文化部歴史資料室が2003年に設置した周辺の史跡案内。。
ここを見ていたら上記の小山に関する説明があった。
七っ墓と十貫瀬(ナナチバーカーとジックヮンジ)の伝説
見栄橋駅のすぐ近くに幽霊伝説と地名の由来となった岩山が現存する。
この岩山には七つの墓が並んであったことから「七つ墓」と呼ばれている。昔、この岩山近くのお店に子供のお菓子を買う女性がたびたび現れた。その女性が置いていくお金が翌日には紙(紙銭)に変わるので、不思議に思った店の主人が、ある日女性の後をつけていくと、墓の中に入っていった。墓の中を覗いてみると、驚いたことに死んだ母親の側で赤ん坊がアメをしゃぶっていたという。子供を想う母親の気持ちが現れた幽霊話である。
また、かつての見栄橋から崇元寺橋の間の通りは「十貫瀬の前」といわれた。これは岩の上に十貫の銭を置き忘れたが、5,6年の後、戻ってみると元の通り岩の上に残っていたので、この岩を「十貫瀬」と呼ぶようになったという。七つ墓の岩山の一部が十貫瀬といわれている。
なお、中国皇帝の冊封使の記録には、この岩山を「七星山」と記している。
そばの駐車場から七つ墓をズームすると小さな祠もある。
入口を探して周囲を一回り。
その細道の出口で振り返って。
七つ墓への入口は見つけられなかった。 見つけられなかったことが幸運だったのかもしれないが。
七つ墓のすぐ南側の橋から西方向。
いい雰囲気の木造家屋。
路地を入った先に公園があった。墓(?)も付属する小山がある。
小山の上から。緑ヶ丘公園という普通の名称で、遊具が充実しており、多くの子ども達が遊んでいた。
まるで古墳のような、丘の膨らみ。
とても人懐こい黒猫がいた。
公園の南側出入口。厳重な自転車対策(?)が採られていた。
角地を活かした店構えだが、何屋さんか。
グーグルマップにあった、国際通りに並行する裏道を歩いてみた。魅力的な「沖縄家庭料理 食堂 花笠 2号店」があったが、次の機会とした。
民家の庭先で。
マップの指示通りに進むが、かなりの細道になった。
道の脇にはワイルドになりつつある亀甲墓が数基。
こちらのバイク置き場をくぐるとすぐに国際通りに出た。
その先、人で賑う「てんぶす那覇」前がツアー集合場所だった。下記の案内文に誘われて1名参加で申し込んでいた。
桜坂はかつて沖縄一の繁華街として名を馳せており、古き良き沖縄と新しい時代の香り漂う個性豊かな店が立ち並ぶ魅惑的な場所。ガイドとともに、桜坂界隈をまちま~いしながら、ちょい飲みし、夜の賑わいを感じませんか?
平和通り商店街⇒桜坂⇒竜宮通り⇒オリオン通り⇒桜坂
【ナイトコース】寄んな~ 酔んな~ 桜坂(31) | 那覇まちま〜い
参加者は自分と同じ単独参加の男性が他に2名と男女1組で、ガイドさん入れて計6名だった。
まずは平和通りを散策。
隣接するアーケードに比べここの道幅が広いのは、戦後にまず、生活必需品であった焼物を売る「壺屋」エリアへの道としていち早く整備されたからだそう。
アーケードの店を見ながら、途中で左折。その先の上りが桜坂。
といっても現在桜の木は一本もなく、路面に桜の絵があるだけ。
戦後平和通りに沿う崖を、地元の人がならして坂にして、桜を植えて桜坂通りという名前をつけたそうだ。桜はすぐにほとんど枯れてしまったようだが。
桜坂昔ばなし - 沖縄B級ポータル - DEEokinawa(でぃーおきなわ)
後で桜坂 (那覇市) - Wikipediaを見ると下記のように書かれていた。
1970年代以降、歓楽街の中心は海寄りの若狭・辻方面へ移り、桜坂地区の飲食店数は激減した。国際通りの名称の元だったアーニーパイル国際劇場、グランドオリオン、シネコン琉映などの映画館も相次いで閉館。最悪期には沖縄で「桜坂」と言えば「場末」と同義語に近かった。
2000年代に入ると安い賃料と沖縄都市モノレール線の牧志駅に近い立地条件が見直され、若者向けのカフェやクラブ、長期滞在者向けのゲストハウス、「大人の隠れ家」的な飲食店が増加して賑わいが戻りつつある。閉鎖されたシネコン琉映が桜坂劇場として新たにオープンし、今までにない文化発信の拠点として再び注目を集めている。
沖縄唯一のゲイ・タウンであり会員制のゲイバーが点在していることで知られている。
坂の東側にはハイアットリージェンシーホテルが建つ。このホテルが建ったので”場末感”はなくなっていた。
坂を振り返ったところ。ビル風が通り抜けていた。
坂上には桜坂劇場という映画館。
ガイドの方によると、この「さんご座キッチン」もなかなかおいしいとのこと。
そしてオリオン通りに出て、ツアーの一軒目の「ゆうばんまんじゃ」へ。
カウンターで10席ほどの店。一人ひとりにビール一本とおつまみセットがつく。
マスター一人で切り盛りされている店。カウンターの中まで、天井や壁が写真などで埋め尽くされていた。
こちらもカウンター内部。メニューの上は米軍統治下時代のお札「B券」
左の陶器に交差する旗は、その時代に一時期あった琉球”国旗”だそう。
背面には2台のジュークボックス。なんと現役で動く!
100円で3曲。アンプは真空管。"懐メロ"をレコードで楽しんだ。
ジュークボックスの上はガラス瓶のコレクション。博物館のような店を堪能させていただいた。
ビールを飲み終えたころ、お客さんが入ってきて店を出た。隣の店は質屋だが、バナナやゴーヤも売っていた。
少し夜道を散策。 こちらの水餃子も絶品だそう。
大変に賑っている屋台村を抜ける。
”イベント”もののエリアで、店は時折入れ替わるようだ。
そこを抜けると落ち着いた(?)飲み屋通り。こちらは山羊料理の店。
スナックが多い。
屋外なのに屋内のような行き止まり小路。
カンヒザクラか。
そして2軒目はカラオケスナックへ。 カウンターは常連さんで満席で、ツアー客6人はテーブル席へ。菊の露という美味しい泡盛をいただいた。
最後はちょっと踊ったり。
こちらの右側のアリエスというお店だった(はず)
那覇の夜を満喫させていただきました。
現地解散でスマホのマップを頼りに歩いて宿へ向かった。国際通りはまだ大賑わい。
スマホマップは裏道を示していた。
その先は街灯がなく足元が見えない小道でちょっと躊躇したが、来る時に通った道だったので足早に通り過ぎた。
緊張感のある小道だった。
久茂地橋あたりのゆいレール。宿へ戻ってバタンキュー(死語?)