前回のつづき。
読谷村で座喜味城跡などを見た後、南に下って嘉手納基地の西側の大通りを進み、中城城(なかぐすくじょう)跡を目指した。
城跡に近づいたあたりで、「重要文化財・旧中村家住宅」のサインがあったので立ち寄った。
駐車場は無料。入場料一般500円を払って中へ。
中村家住宅は19世紀初期ごろに建てられた、沖縄の住居建築の特色を全て備えている豪農屋敷で、南向きの緩い傾斜地を切り開いた敷地は石灰岩の石垣で囲われ、母屋の他に高倉、納屋、畜舎などが付随する。
中村家の先祖、賀氏(がうじ)は、今から約500年前に護佐丸(ごさまる)が城を読谷から中城に移した時に共に移ってきたが、護佐丸が勝連城主の阿麻和利(あまわり)に滅ぼされてた際に離散、1720年ごろに再び家運を盛り返して地頭職に任ぜられたとのこと。北中城村ホームページ | 観光案内 | 中村家住宅より。
門前にはいい雰囲気の石畳道。左が入場券売り場兼みやげ物屋で右が住宅入口。
大きな切石積のヒンプン(目隠し)
最初に目に入るのは離れのような仏間(二番座)と客間(一番座)。
客間の縁側。
靴を脱いで母屋(ウフヤ)に上がる。外国の方で廊下まで靴で上がっている方がいたので、脱ぐ位置を教えてあげた。
客間の内部。
畳間は当時の農民に許されていた一部屋6畳以下(と言っても部屋数は多い)
琉球王朝時代に首里から士族の家屋を移した建物なので、柱材には農民には許されていなかったチャーギ(イヌマキ)やイーク(モックコ)が使われいるそうだ。
北側に向かって開口する部屋が連なる。
夏を涼しく過ごせそうな着物が風に揺れていた。風は気持ちよくて一休みしたくなった。
北向きの部屋の目の前は石垣になる。
米軍統治下の切手コレクションが何気なく飾られていた。
居間から台所方向。
甕が並ぶ部屋があった。
土間のカマド。
台所(トゥングヮ)は板の間、納戸、土間からなる。
その近くには炉もあり、奥にヒヌカン(火の神)が祀られていた。毎月1日と15日に拝んでいたそう。
洗い場もそばにある。
一旦外に下りて周囲を回る。母屋と高倉の間の通路。
大きな顔のシーサー。
庭の井戸には滑車も残っていた。
こちらは馬小屋(ウマヌヤー)
隣に牛小屋(ウシヌヤー)や山羊小屋(ヒイジャーヤー)の部屋が連なっていた。
アーチ型の石囲いは豚小屋(フール)
昔はどの家にもこのようなフールがあって豚を飼育していたそう。
左が母屋、右奥が馬小屋・牛小屋で右手前が豚小屋。
母屋の北面。
北面の崖上の小路を歩けるようになっていた。
赤い屋根瓦が美しい。
小路沿いの花も美しかった。
面白い形の幹。
面白い実?
一回りして降りてきた階段。
降りた先にサーターグルマ(砂糖車)が置かれていた。
みやげ物屋はいろいろな商品があった。
薄緑の生地は「ウージ染め」でサトウキビの葉と穂を煮出した染料で染めるそうだ。
つづく。