墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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横須賀市自然・人文博物館 常設展示 横須賀市深田台

横須賀市自然・人文博物館の企画展は大変面白かったが、常設展もボリュームたっぷりで充実していた。

 

横須賀市自然・人文博物館は、「自然・人文博物館」「馬堀自然教育園」「天神島臨海自然教育園」「ヴェルニー記念館」の総称になっている。

「自然・人文博物館」の常設展示は自然系の展示と人文系の展示とで棟が分かれており、どちらも2フロアを使っていた。

 

建物は斜面にあり、事務所のある方の玄関から入ると「自然」系の展示になる。

 

公式サイトでは、自然系の棟では2階は次の10カテゴリに分かれている。

ナウマンゾウ、三浦半島をとりまく地形、さわれる展示、三浦半島の一世紀、三浦半島の活断層、深海から生まれた三浦半島、ミニシアター干潟の生き物、三浦半島の森林、三浦半島の海岸、珍しい標本コーナー

 

大きな地形模型。海底の地形もよくわかる。 

 

三浦半島の森林・海岸はジオラマで表現されていた。

 

さらに1階は次の14カテゴリ。

岩石壁面、海の発光生物、陸の発光生物、深海の生物、昆虫類、両生・は虫類、有毒・有害な生物、鳥類、魚類、三浦半島の哺乳類、海の生物、植物、生命の歴史、美しい石

 

海の生物のコーナー。横須賀市で育った方は一度は訪れているのでは。

 

サケガシラという深海魚。

 

化石などのコーナー。市立の博物館としては相当充実しているのでは。

 

広い展示室に細かい標本が数多く並べられていたが、この時は”通り過ぎた”だけになった。 

 

 

人文系では2階は次の江戸期の漁師の暮らしと幕末からの横須賀製鉄所が中心。

江戸幕府と三浦半島、村の暮らしと三浦半島、しめかす小屋、江戸時代の漁師の家、ペリーの来航と三浦半島、横須賀製鉄所の開設と三浦半島、3Dで見る横須賀製鉄所、ペリー来航から近代、歴史資料閲覧コーナー

 

最初に、左からウィリアム・アダムズ(三浦安針)、小栗上野介忠順、フランソワ・レオンス・ヴェルニーの像と対面。

 

左から時計回りに進むと、まず江戸期の漁村。地引網の大きな舟が半面カットで展示されている。手前の網籠は人が何人も入れそう。

 

イワシから油を取った〆粕小屋。絞った残りの〆粕が大切な肥料となった。江戸期には三浦半島の砂浜に多数あったそうだ。

 

実際に昭和40年代まで、横須賀市鴨居地区に現存していた漁師の家が、館内に移築復元されていた。漁師であっても農地を持って多角的に生業を営んでいたそう。

 

回っていくと幕末・明治期、横須賀製鉄所のあゆみと日本近代化への貢献(1865~)のコーナーに。

昨年2016年4月に横須賀造船所関連資料などの当館資料が「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本の近代化の躍動を体感できるまち~」として日本遺産に認定されている。

 

赤い表示が日本遺産。こちらは横須賀ドックの図面。

 

こちらは「ヨコスカ精錬所」の刻印煉瓦。

 

別のコーナーで煉瓦に触れる展示もあった。

 

横須賀製鉄所はフランスの指導の元に造られたので、煉瓦は「フランス積み(フランドル積み)」

富岡製糸場も横須賀製鉄所が設計したので同じ積み方になっているとのこと。

 

横須賀ドックのアンカーボルト。

 

ドックは米軍基地内にあって、昨年軍港クルーズを体験したときには遠目に見ただけだったが、ブラタモリ横須賀編では中まで入って紹介されていた。

massneko.hatenablog.com

 

明治27年の横須賀軍港の絵図。

 

こちらの建築図面も日本遺産。

 

もちろん(?)ジオラマもあった。

 

横須賀市内には日本遺産に認定された建物が幾つも残っているようなので別の機会に訪ねてみたい。

日本遺産認定横須賀市の構成文化財一覧|横須賀市

 

ジェラール瓦という19世紀フランスで開発された当時最新の瓦。明治初期に横浜で造られ各地の名建築で使用されたそうだが、触れる展示になっていた。

 

煉瓦とか港とかに気を取られてしまし、なんと1階の考古系の展示を見そびれていたことを公式サイトで今にして知った・・・

三浦半島に人が住み着いたころ、採集の時代Ⅰ、採集の時代Ⅱ、海の生活、農耕の始まり、豪族の誕生、都と三浦半島、三浦一族と三浦半島、縄文時代の丸木船、三浦半島を作る地層

 

建物3回には眺めのいい展望室。

 

建物の前に躍動感のある銅像があった。

 

「自由の女神」の像で、作者は長崎平和祈念像も制作した北村西望だった。

つづく。