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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

吉祥寺 天祖神社 東京都文京区本駒込

前回のつづき。

白山神社の東参道を進んで旧白山通りに出て、白山上交差点を左に向かったところ。

東大農学部前で本郷通りから左に分岐しているこの道は、旧白山通りでもあり中山道国道17号でもある。

 

道沿いに旧町名案内があった。

駒込東片町(昭和39年までの町名)
むかしは、岩槻街道中山道に沿って発達した宿駅で駒込宿の名があった。駒込村の内であった。
寛永年間(1624~44)、村内はほとんど大名屋敷、武家屋敷や寺領となり、村民は中山道の東側に移った。片側町であったので、駒込片町といった。
明治2年、徳性寺門前、九軒屋敷、追分町の残地を併せた。中山道の東側にあるので駒込東片町とした。
同5年、大円寺、正念寺などの寺地を合わせた。
中山道岩槻街道との分岐点が追分で、一里塚があった。東大農学部正門前の角に現在高崎屋がある。宝暦年間(1751~64)の創業で酒屋と両替商を兼ねていた。
”くたびれた奴が見つける一里塚”(古川柳)

 

東京都遺跡地図を見ると、上記の旧白山通りの北側に「曙町古墳」が印されていたが、住宅地の中で墳丘らしきものは残っていなかった。

 

振り返ると龍光寺の敷地。

 

住宅地の細道を歩く。カーブや高低差のある道だった。

 

懐かしい雰囲気の店。

 

小さな公園の脇を通り過ぎる。 

 

本郷通り岩槻街道)に出ると旧町名案内があった。

駒込吉祥寺町(昭和41年までの町名)
むかしは駒込村の農地であった。江戸時代初期に、越後村上城主堀丹後守の下屋敷となった。
明暦3年(1657)の振袖家事(明暦の大火)後、水道橋(もと吉祥寺橋)の北側一帯にあった吉祥寺が移って来た。そして岩槻街道(日光将軍御成道)に沿って門前町屋が開かれた。延享2年(1745)から町奉行支配となった。
明治2年、吉祥寺門前町と吉祥寺境内の全域を併せて、駒込吉祥寺町とした。
江戸時代、吉祥寺には栴檀林といって、曹洞宗の学問所があった。学寮・寮舎をもって常時1000人余の学僧がいた(現在の駒沢大学に発展)。二宮尊徳榎本武揚鳥居耀蔵や川上眉山らの墓がある。

 

吉祥寺の説明板。

曹洞宗 諏訪山 吉祥寺 本駒込3-19-17
長禄2年(1458)太田道灌江戸城築城の際、井戸の中から「吉祥」の金印が発見されたので、城内(現在の和田倉門内)に一宇を設け、「吉祥寺」と称したのがはじまりという。
天正19年(1591)に現在の水道橋一帯に移った。現在の水道橋あたりにあった橋は吉祥寺橋と呼ばれた。明暦3年(1657)の大火(明暦の大火)で類焼し、現在地に七堂伽藍を建立し移転、大寺院となった。
(後略)

吉祥寺は武蔵野市吉祥寺駅周辺にではなく、ここ文京区の本駒込にある。

江戸初期は水道橋に、さらに前には江戸城和田倉門辺りにあった。

明暦の大火で被災し、寺はここに移れたが門前の住人は今の武蔵野市へ移住させられたという話だった。

吉祥寺エリア - 武蔵野市観光機構

安養寺・光専寺・蓮乗寺・月窓寺という4軒の寺が集まるお寺町ですが、吉祥寺というお寺はありません。名前の由来となっている「吉祥寺」は、現在、文京区駒込にあります。明暦の大火で当時、小石川水道橋外にあった吉祥寺門前町の住人が焼け出されて住居をなくし、この地に移住させられました。その際に、この地を吉祥寺と名付けたことから吉祥寺が始まりました。

 

参道を覆うような枝は枝垂桜のようだった。春にぜひ再訪したい。

 

内側から見た山門。享和2年(1802)の再建。

 

こちらも桜の花?

 

吉祥寺大仏もおられた。

 

広大な本堂前。

 

諏訪山は、かつての江戸城内時代に吉祥寺が諏訪神社境内にあったことに由来するようだ。

 

御参りして振り返ったところ。

 

歴史がありそうな建物も。

 

文化元年(1804)に再建された経蔵だった。

吉祥寺 経蔵 一棟 区指定有形文化財(建造物)
江戸時代、この寺は曹洞宗の修行所、栴檀林(せんだんりん)として知られ、経蔵は図書収蔵庫であった。現在の経蔵は、焼け残った旧経蔵の礎石をもとに、1804年(文化元)ふるいきまりによって再建したものと考えられる。
旧経蔵は、1686年(貞享3)に建造し、1778年(安永7)に焼失と考えられる。1933年(昭和8)に大修復を行った。
屋根は、桟瓦葺、屋根の頂に青銅製の露盤宝珠をのせた「二重宝形造り」である・外側の各所に彫刻を施し、意匠と技術に粋をこらしたみごとなものである。
蔵内に、経典を収蔵する八角形の輪転蔵がおかれている。建造物としての価値とともに、東京都内に残る江戸時代建造の経蔵として貴重である。文京区教育委員会 平成8年3月 

 

輪転蔵は以前に増上寺で迫力の実物を見学したことがある。

増上寺 経蔵・輪蔵 - 墳丘からの眺め

 

境内の北側の天祖神社側への出入口がないかと墓地の縁に沿って歩いたが、本郷通り側の山門だけだった。

 

江戸期の大きな五輪塔などがあった。

 

本堂裏には奈良寺院風の開山堂。戦後の再建だが、現行の一代前の本堂になるそうだ。

 

山門を出て境内北側に沿った道。

 

屋根からの視線。

 

第9中学校の脇を過ぎると天祖神社があった。

 

こちらも参拝者で賑っていた。

 

白山神社で大吉を引いたので、こちらは参拝のみとした。

 

土器の形のような影絵。

 

北側の参道。縁結び・子育て地蔵尊もあった。

つづく。