墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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白山神社古墳 東京都文京区白山

2017年の初墳行は文京区の神社古墳へ、夫婦で参拝した。

1月3日の午後、都営三田線の白山駅で下車し南側の出口からアプローチ。

右へと回り込んで京華通り商店街。この先の京華学園の名がつく通り沿いには東京富山会館の大きなビル(左の建物)があるが、10月の第1土曜にはこの通りで「おわら風の盆」が舞われるそうだ。

 

少し行くと右手に白山神社参道が現われた。

 

石段下との高低差は10mほどになる。

 

上がってすぐにはさまざまな形をした神輿蔵があった。

 

参拝客で賑う拝殿だったが、立地は平坦面だった。

 

列に加わり参拝。

東京十社めぐりという設定を初めて知った。

 

拝殿の左隣にわりと大きな境内社があった。

 

京都嵐山の松尾大社から勧請された関東松尾神社で、昭和26年に酒類関係者により改修されている。

 

その左手にゆるやかに上る道があった。

 

その先は遊具と広場がある白山公園。

 

西側は切れ落ちて京華学園の敷地。

 

ブランコの後ろが白山神社本殿。

 

公園の門の裏には「明治24年開園」と書かれていた。

 

公園の東隣にフェンスに囲まれた土盛りがあった。

 

墳丘に咲くのは早咲きの梅?

 

東京都遺跡地図に種別は古墳、概要は「円墳?」と表示されている。見た目に明らかな(?)古墳だが、墳丘に上がれるのは紫陽花祭り期間中に限られていた。

 

近隣宅へのプライバシー保護のためとのこと。

 

墳頂をよく見ると祠があった。

 

北へ回りこんでいくと降り口がある。

 

今は地面がよく見えるが、6月に再訪して紫陽花で覆われた墳丘も撮ってみたい。

 

渡り廊下をくぐって、再度拝殿の方へ。

 

おみくじは二人とも大吉だった。

 

拝殿の右手に西向きの鳥居がある。

 

鳥居の手前を左に行くと、墳丘の南面に。

 

日向ぼっこの御邪魔をしてしまった。

 

西側の鳥居。

 

鳥居から道を下ると文京区の「旧町名案内」が。

旧白山前町(昭和41年までの町名)
古くは小石川村に属した。元禄12年(1699)に町屋を開いた。町名は、白山権現社(白山神社)の境内の前通りにあったので名付けられた。
明治2年、白山表門前、白山裏門前、小石川数奇屋町、妙清寺、常検寺及び浄心寺門前を併せた。さらに明治5年には上駒込村飛地、鶏声ヶ窪を併せた。
白山神社は、初め、天暦2年(948)加賀の国の一の宮白山神社を旧本郷元町に祭ったのに始まる。のち現在の小石川植物園の地に移ったが、明暦元年(1655)に白山御殿の造営のため、現在地に移った。それで5代将軍綱吉とその生母桂昌院の信仰を受け大いに栄えた。
白山神社の門前町として、この町は発展した。

 

道は再び上って旧白山通りに突き当たる。そこから白山神社を振り返ったところ。

 

そこにとても気になる喫茶店(店は階段の下)があった。看板下の映写機のような機械は動いていたが、店は「準備中」だった。

つづく。