墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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鳩森八幡神社 東京都渋谷区千駄ヶ谷

前回のつづき。

観音坂に戻って西へ上っていくと鳩森八幡神社があった。

拝殿正面からの参道の先にある南東向きの鳥居。

 

参道を進むと右手に富士塚が見えてきた。

 

まずは茅の輪を八の字に回って、拝殿に参拝した。

 

鳩森八幡神社│公式ホームページによれば御祭神は応神天皇・神功皇后。

昔むかし、青空より白雲が降りてきたのを不思議に思った村人が林の中に入っていくと突然数多の白鳩が西に向かって飛び去った、という霊瑞により祠が営まれ鳩森(はとのもり)と名付けられた。貞観2年(860)に慈覚大師(円仁)が関東巡錫の折にここに立ち寄り、神功皇后・応神天皇の像を作り添えて八幡宮として奉ったことが当社縁起と伝えられるそう。

 

なかなか立派な富士塚。

 

説明板があった。

東京都指定有形民俗文化財 千駄ヶ谷の富士塚

所在:渋谷区千駄ヶ谷1-1-24 鳩森八幡神社境内

指定:昭和56年3月12日

この富士塚は寛政元年(1789)の築造といわれ、円墳形に土を盛り上げ、黒ばく(富士山の溶岩)は頂上近くのみ配されている。山腹には要所要所に丸石を配置しており、土の露出している部分には熊笹が植えられている。頂上には奥宮を安置し、山裾の向かって左側に木造の里宮の建物がある。

頂上に至る登山道は正面に「く」の字形に設けられ、自然石を用いて階段としている。七合目には洞窟がつくられ、その中には身禄像が安置されている。塚の前面には池があるが、この池は塚築造のため土を採掘した跡を利用したもので、円墳状の盛り土、前方の池という形は江戸築造の富士塚の基本様式を示している。

この富士塚は大正12年(1923)の関東大震災後に修復されているが、築造当時の旧態をよく留めており、東京都内に現存するものではもっとも古く、江戸中期以降、江戸市中を中心に広く庶民の間で信仰されていた富士信仰の在り方を理解する上で貴重な資料である。昭和57年3月31日建設 東京都教育委員会

 

いざ山頂へ。

 

ワイルドな登山道を慎重に進む。斜面には烏帽子岩や亀岩なども配されている。

 

山頂の奥宮にお参り。

 

山頂から社殿。

 

そこから右回りに。右下は富士浅間神社の祠。

 

道路沿いにはイチョウの巨木があった。

 

ぐるりを一回り。左は能舞台。

尾根上の小高い場所に立地しており、かつては実際に円墳だったのではと思えたが、東京遺跡地図を見ても遺跡や史跡のサインはなかった。

 

別の登山道を降りた。

 

山裾にあった手書きの案内図。

 

こちらは神楽の蔵か。

 

境内には将棋堂もある。

 

中には大きな将棋の駒が。

 

将棋堂の由来。この近隣に日本将棋連盟がある。

 

末社の神明社。後ろの竹藪は鬱蒼としていた。

 

北側の鳥居の先が賑わっていると思ったら、山内農場の灯りだった。

 

道を渡って振り返って。こちらが鳩森八幡神社の裏参道になる。

 

帰宅後に「渋谷区文化財マップ」で確認。

青い破線がかつての川跡になるが、左上と右上からの流れが下の原宿橋で合流していて、いくつものお寺は舌状台地上にあることがわかる。

八幡坂も行きそびれていたので明るい時間帯に再訪したい。