読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

仙寿院 観音坂 東京都渋谷区千駄ヶ谷

前回のつづき。

東郷神社参拝の後も少し時間があったので、鳩森八幡神社を目指して歩いてみた。

明治通りを北へ向かうと神宮前一丁目交差点。

 

東側に旧道のような雰囲気の上り道があったが、日没近かったので次の機会とした。

 

明治通りをさらに進むと目を惹く建物があった。あとで調べたら、1964年竣工のビラ・ビアンカという"都心居住型集合住宅"とのこと。

 

さらに進んで西への枝道をズーム。

 

 千駄ヶ谷小学校の交差点で左折。左手に小学校があり、道はゆるい下り坂になる。

 

校庭の隅に塚のようなものがあるのが気になった。

 

そのまま下ると千駄ヶ谷トンネルに。

 

トンネルの上へ向かってみた。手前の信号を左折。

 

右手の枝道を上っていく。あとで榎坂だったことを知った。坂上には廃屋となってしまった昭和風の家も。

 

さらに右に回り込んでいくと行き止まりの道の先に仙寿院というお寺があった。

 

「法雲山千壽院の沿革」によれば、正保元年(1644)徳川家康側室のお萬の方の発願により里見日遥が開山。江戸期には壮大な堂宇と庭園を有して江戸名所にも数えられたが明治維新で衰微し、明治18年の火災と戦災で2度にわたり全山焼失した。さらに東京オリンピックの道路工事で「寺観は一変」し、昭和40年、59年に「昔日に遠く及ばずながら」も再建されている。

 

トンネルの上へと上る道。

 

トンネルの上は墓地となっていた。

 

柵ぎりぎりまで墓地。

 

千駄ヶ谷トンネル - Wikipediaによれば、道路は東京都市計画道路補助線街路第24号線で、東京オリンピックにあわせて整備された際にもともとあった墓所の移転をせずにトンネルで通されたが、建設にあたって墓地は一旦開削され、トンネル設置後に改葬されたそうだ。

微妙な段はトンネルの縁か。

 

こちらが本堂。

 

東の端から。この先の左が新国立競技場の建設地になる。

 

右手の奥でも高いビルが建設中だった。

 

仙寿院を出て北へ。台地上を別のお寺の敷地に沿って歩く。敷地の高低差は、かつての斜面の名残りか。

 

そのお寺へのアプローチ。

 

瑞円寺という禅寺だった。

 

境内地に沿って北へ回り込んでいくと、「観音坂」の標柱があった。

坂名は、真言宗観谷山聖輪寺の本尊であった如意輪観音像に由来します。観音は当寺の開山とされる行基の作と伝えられていましたが、残念ながら戦災によって焼失してしまいました。「江戸名所図会」によると身の丈は三尺五寸で両眼は金でつくられていたといいます。

 

坂下方向。

 

坂を少し下って、北側に並行する別の坂へ。

 

そちらの坂に沿っては聖輪寺があった。

 

近代的なお堂。

 

坂から振り返ってズームすると、工事現場が望めた。背の高いフェンスは神宮第二球場。

 つづく。