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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

世田谷区郷土資料館常設展示 東京都世田谷区世田谷

直前の回のつづき。

特別展「野毛大塚古墳」を見た後に本館の常設展へ。

原始から現代にわたる世田谷の考古資料、民俗資料、古文書、絵画などが展示されている(入館無料)

野毛大塚古墳の出土物なども通常はこちらで見ることができる。 

 

縄文後期(約4000年前)の注口土器。奥沢台遺跡出土。
注口部分は復元されたものだが、カーブのある把手はオリジナル。お墓に副葬品として埋納されたものと推定されるそうだ。

ポットの形は何千年も前に完成されていた?

 

先日狛江市のツアーで訪ねた稲荷塚古墳の出土遺物もあった。

 

横穴式石室から出土した、立派な圭頭大刀、鉄製刀子、鉄鏃、耳環、練玉、ガラス小玉、土師器坏は区の文化財に指定されている。

 

石室の様子がわかる模型があった。ちなみに埴輪が確認されていないので古墳時代終末期の6世紀末~7世紀前半の築造と考えられている。

 

手前から前庭、羨門、羨道、玄室。玄室には大刀も模型で表現されていた。

 

前から見たところ。羨門に仕切りの石がある。

 

現地での写真。上のジオラマのような石室が実際に埋まっていると思うと感慨深い。

稲荷塚古墳 狛江(岩戸・駒井地域)の文化財めぐり・その5 - 墳丘からの眺め

 

小田急線の成城学園前喜多見駅の中間にある不動橋横穴群11号墓にあった線刻画。大変貴重な実物ではないか。

横穴墓に描かれた線刻画(不動橋横穴群11号墓)
この線刻画は、世田谷区成城3丁目の国分寺崖線斜面にあった不動橋横穴群(区遺跡番号189)の11号墓から発見されたました(第3次調査 1998年実施)。横穴墓に描かれた線刻墓としては、東京都内でも珍しく、23区内では初めての例です。
11号墓からは人骨や遺物は見つかりませんでしたが、その出土状況から少なくとも1~2回の追葬があったことが確認されています。もともとこの線刻画は、玄室(死者を埋葬する部屋)の奥壁全体に描かれていたようですが、残念なことに発見当時は中央部分は剥落していたため、全体を見ることはできませんでした。しかし、奥壁の向かって右側には、明らかに人と考えられる「こけし」型の人物が二人上下に描き分けられています。上の人物は飾の付いた大刀を持ち、下の人物には径1cmほどの円形の窪みが表現されていて、あるいはこれが涙を表しているようにも見えます。この他、判然とはしませんが、動物や植物と思われるような線刻もあります。
この線刻画は、今からおよそ1300年前の古墳時代後期のものと推定され、埋葬された人物をあの世に送るための「葬送儀礼」を描いたと考えられる、貴重で珍しい資料です。 


上段の人物図。

 

下段の人物図。

 

等々力渓谷横穴墓の出土遺物もあった。

等々力渓谷 等々力渓谷3号横穴 東京都世田谷区等々力 - 墳丘からの眺め

 

世田谷区周辺を立体で表した大きな遺跡地図もあった。下記はその一部。

赤い灯りは左から上野毛稲荷塚古墳、野毛大塚古墳、その下に野毛2号墳、御岳山古墳 狐塚古墳、八幡塚古墳と崖線に沿って連なっていることがリアルにわかった。

 

資料コーナーの前には玉川上水の暗渠部分の木樋(四谷で発掘されたもの)があった。 

 

水が流れるように漏れないようにしかも頑丈に、このようなものをシステムとして江戸期に作った先人の知恵と苦労に敬意を表したい。

 

 

資料館敷地には博物館棟の外にも遺構が残る。

世田谷区郷土資料館は、都内で唯一の大名領の代官屋敷「世田谷代官屋敷」の敷地内にある。江戸時代中期以降、彦根藩世田谷領20ヵ村を世襲した代官は大場家で、大場代官屋敷とも呼ばれた。

郷土資料館のすぐ前に主屋が残る。

 

白州も。

 

白州へ向かう門も。

 

門の側から見た主屋。

 

実は、7月にもこちらの常設展に来て、たまたま同じ位置で撮っていた。

ここから夏になります。

 

夏の白州跡。 

 

通りに面して代官屋敷の説明板が立つ。

東京都指定史跡 世田谷代官屋敷
所在地 世田谷区世田谷1-29-18
指定 昭和27年11月3日旧史跡指定 昭和34年2月21日史跡指定
江戸時代のはじめ、大場氏は彦根藩井伊家領世田谷(2300万石余)の代官職を務め、明治維新に至るまで世襲していました。この屋敷地はその代官役所として使用した居宅を含む屋敷跡です。
大場氏は中世に世田谷城主であった吉良家の重臣でしたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉により、北条方についた主家吉良家が没落すると、世田谷新宿(上町)に留まり帰農していました。寛永10年(1633)、井伊家が世田谷領15箇村(後に20箇村)を拝領した際に、代官に起用されました。以後、明治4年(1871)に廃藩置県に至るまで代官職を継ぎ、領内を統治してきました。
屋敷は江戸中期の建築であり、代官所の中心である母屋は約70坪(約231.4㎡)、茅葺きの寄棟造りで、茅葺きの表門、土蔵、白州跡などの一部が今も現存し、往時の代官屋敷の面影を伝えています。
平成22年3月建設 東京都教育委員会

 

主屋と表門は国の重要文化財となっている。 

重要文化財 大場家住宅
この住宅は、大場家7代六兵衛盛政が言文年(1737)と宝暦3年(1753)の2度にわたる工事によって完成したものであります。(中略)
江戸中期上層民家の遺構がよく保存する建物として、主屋及び表門の2棟が、昭和53年1月21日、国の重要文化財に指定されました。

 

南側からの主屋。

 

広い土間には野太い梁が架かっていた。 

 

奥へと続く板張りの床。

 

夏の日差しが強かった。

 

敷地内の井戸。

 

漆喰塗りの土蔵。

 

 このときはサルスベリが咲いていた。

 

「きささげ」という木の実。

 

通りに面した表門。

 

重文の建物だが、「都史跡」の石碑の方が大きかった。

 

敷地の中から見た表門。

 

 ここでは毎年12月15・16日と1月15・16日の4日間、400年以上の歴史があるボロ市(歳の市)が開かれるそうだ。世田谷のボロ市 | 世田谷区

 

敷地と道路(ボロ市通り)を挟んだ向かいに世田谷天祖神社がある。

 

このときは鳥居が修繕中だった。

 

凛とした拝殿。

 

拝殿の左横に世田谷線上町駅への近道があった。境内を振り返ったところ。

 

その先の建物。右の木立が世田谷天祖神社境内で左の歩道橋を渡って停留所へ向かう。

 

颯爽とした東急世田谷線

 

このときは線路敷地にも緑があった。

 

三軒茶屋駅のターミナル。軌道は一本だが。