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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

浅間神社古墳(母塚) 埼玉県川越市富士見町

前回のつづき。 川越シリーズの最終回。

愛宕神社古墳から南西に300m弱、国道16号(川越バイパス)を渡った反対側に浅間神社古墳がある(バイパス敷設時にどちらかが削平されなくてよかった)

 

国道に平行する道に面した鳥居。右の石碑には富士浅間神社とある。

 

樹木が繁る墳丘上に浅間神社がある。愛宕神社古墳の父塚に対し、こちらは母塚と呼ばれている。

浅間神社古墳(母塚) 高さ5.8m、直径42mの円墳。6世紀中頃の築造。

 

石段下の説明板。

浅間神社古墳(市指定・史跡)
円墳で、その規模は高さ約5m、周囲(※直径?)42mである。現在この古墳の頂上には、浅間神社が祀られており、このためかなり削りとられて墳頂部は平坦になっている。古墳のすその部分に低いところが見られる事から周溝が巡っていたと考えられる。愛宕神社古墳と共に仙波古墳群の中では規模も大きく、群集墳が発生した初期の頃に築造されたものであり、6世紀の中頃のものであろう。仙波地域一帯が農業を専業とする人々によって村落が形づくられ、その指導者の墓として作られたものであり、川越市内では、的場古墳群、南大塚古墳群、下小坂古墳群に次いで残っている仙波古墳群のひとつである。
昭和63年3月 川越市教育委員会

ちなみに上記にある南大塚古墳群の山王塚古墳(上円下方墳!)は3月に現地説明会へ行った。山王塚古墳・現地説明会 埼玉県川越市大塚1-21 - 墳丘からの眺め

 

日没を過ぎ石段は暗くなっていたので、6m近い高さの迫力が増幅されていた。

先客がいらしたので、驚かせないように足音を立てて昇った。

 

石段の上から。樹木のトンネルの上では沢山の鳥の気配があった。 

 

参拝後、拝殿の裏へ回ると溶岩製の富士塚が。

 

その後ろ、墳頂の端には5つの祠。

 

祠と富士塚との間には”噴火口”も。

 

墳頂から北側の眺め。

 

しっかりした防護柵があった。

 

拝殿の側面。

 

側面からの傾斜のゆるい石段もあった。

 

墳丘の下端はコンクリ壁で保護されていた。

 

 ”総代一同”による神社の説明板もあった。”岩室”とあるのが気になるが・・・

浅間神社の歴史と信仰
当神社は康平年間(1058~1065)源頼義が奥州征伐の途次に分霊したことに始まり、長禄元年(1457)に太田道灌が再営し、永禄9年(1566)に北条氏の臣・中山角四良左衛門が再興したという。
文政11年(1828)、川越南町の山田屋久兵衛が近郷富士講中並びに有志老若男女の助力を受け、拝殿一棟の再建と一丈余の岩室の上に更に一丈有余を新築したと棟札に記されている。
岩室前の石猿に天保4年(1833)の銘があることや、石碑類の多くが天保年間に造営されていることから、文政から天保年間に現在の姿が整えられたと考えられる。(この岩室は、大正12年の関東大震災により崩壊し間もなく再建したとの柵石がある)
拝殿の天井は、中央部が折上格天井(おりあげごうてんじょう)になっており、江野楳雪(1812~1873)による百人一首歌仙像の絵がくみこまれている。
神社の祭神には木花咲耶姫命が祀られている。江戸中期、関東一円に浅間信仰が起こり、富士浅間神社を分霊した当社には、近郷の多くの村々が講を作り、寄進したことが石碑や柵石に刻まれている。
毎年7月13日の初山には、子育ての神が転じて子宝に恵まれる神としても信じられ、新婚夫婦・幼児を抱いたお母さん方など毎年1万人にも及ぶ参拝客が訪れている。参拝客は、暑さに向かう夏の健康を願いあんころ餅を、夏の難病と厄病を追払い毎日を健やかに過ごすようにと団扇を買い求め、お仲人や近親者に配る習わしになっている。
平成22年1月吉日 浅間神社総代一同

 

多くの参拝客で賑う初山の様子は下記のサイトで見られる。

www.kawagoe-yell.com

 

墳丘裾には、もうひとつ説明板があった。 

県指定・史跡
占肩の鹿見塚(うらかたのししみづか)
万葉集巻十四の
武蔵野に占(うら)へ肩灼きまさでにも 告(の)らぬ君が名うらに出にけり
という歌は古代日本人が多く住でいた鹿を持し、その肩を焼いて吉凶を占った習慣にことよせた情緒深い歌であるが、この誕生地が長いこと謎だった。
この仙波の地には、父塚・母塚もふくめて古墳群が形成されていた。しかし、この鹿見塚は大正3年に東上線が開通する際、破壊され消滅してしまったが、土地の小名にも「シシミ塚」「シロシ塚」などと記録されている。シシとは鹿のことである。
建碑の場所は便宜上浅間神社の前を選んだのである。
平成4年3月 川越市教育委員会

 

ここから200mほど南西にはかつて鹿見塚(古墳?)があったが、大正3年に東上線の切り通しを通すにあたって破壊されてしまったようだ。

万葉の歌はそこで詠まれたのだろうか?

 

墳丘下の広場にはブランコと砂場もあった。

 

目の前に歩道橋があるので上ってみた。

 

歩道橋から見た浅間神社古墳。墳頂の社殿は樹木に隠れている。

 

明かりのついた歩道橋。

 

その先には低地が広がっていた。

 

 ズームで。東武東上線が延びている南東(東京方面)の方向。

 

歩道橋から北東側。左が浅間神社古墳。右奥が愛宕神社古墳になる。

 

南西の方向。

 

ズームすると富士山があった。

 

再度浅間神社の境内に戻り、川越駅まで10分ほど歩いた。

 

川越駅にあった観光案内図。街を囲むように新河岸川が流れているのがわかる。次の機会には蔵の街並みや川越城本丸御殿、市立博物館や歴史博物館も訪ねたい。

 

川越駅のコンコース。