墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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新沢千塚古墳群 橿原市北越智町・川西町 「古墳めぐりと博物館見学ツアー」・6

前回のつづきのツアー、古墳めぐりパート最後の訪問地が日本最大級の規模を誇る群集墳・新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群だった。

 

以下はいただいたパンフの新沢千塚古墳群の項をまとめたもの。

・古墳の数:古墳群全体で約600基、史跡指定地で約370基

・築造時期:4世紀終盤~6世紀終盤(最盛期は5世紀後半~6世紀後半)

・古墳の形態:円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墳、長方形墳

・埋葬形態:木棺直葬(最盛期は横穴式石室が主流だった時代にもかかわらず)

・副葬品の特徴:126号墳ではペルシャ伝来のガラス碗・ガラス皿や、朝鮮半島から中国北東部にかけての地域から伝わった金・銀製品が出土。発掘された当時は「地下の正倉院」ともいわれた。他にも金製品などを副葬した古墳はいくつかある。

・造営氏族:不明だが、蘇我氏・東漢氏・大伴氏などの意見がある。鳥屋ミサンザイ古墳や桝山古墳と無関係ではないと考えられている。

 

下記はそのパンフにあった散策マップ(前回も掲載)

中央を東西に通る県道戸毛久米線を境に北群と南群に分かれている。

 

県道にかかる歩道橋から南群。南群は古墳公園としての整備工事中だった。

 

北側には県道に面して、今年4月にオープンしたばかりのシルクの杜というスポーツ・文化施設があった。銭湯やトレーニングルームも備えるが、こちらの会議室でお弁当をいただいて昼食タイムとなった。

 

お腹を満たしたところで北群の遊歩道へ。

 

丘陵上に、スキー場のコブのように墳丘が連なる。

 

ところどころに説明板を備えた古墳がある。 

 

115号墳の解説。5世紀後半の円墳で、墳頂に埴輪を備えていた。

115号墳
墳形・規模:円墳・直径約18m、高さ約3m
埋葬施設:木棺直葬、長さ約3.2m、幅0.5m
主な出土遺物:埴輪、武具、武器、鏡、装身具
時期:5世紀後半
墳頂部には、円筒埴輪が円形に並び、その内側からは家形埴輪や蓋形埴輪が出土しました。
組合式木棺の周囲からは、甲冑一式や盾、鉄刀が、棺内からは五鈴鏡や二神三獣鏡、ガラス玉が出土しました。特にガラス玉は1000点に近い数が、棺内をはじめ、棺の上や周辺にばらまかれたように出土しています。
被葬者は、出土遺物の内容から武人ではないかと推定されます。副葬されていた直刀や甲冑は残りがよく、甲冑の構造を知ることができる資料です。
また、棺には鎹(かすがい)が使われており、木棺の構造を知る上でも、貴重な資料です。

 

こちらは”長方形墳”の126号墳。

 

その解説板。埋葬部には美しいガラス碗や青銅の熨斗が副葬されていた。

126号墳
墳形・規模:長方形墳・東西約22m、南北約16m、高さ約1.5m
埋葬施設:木棺直葬、長さ約3.1m、幅0.5~0.6m
主な出土遺物:ガラス碗・皿、青銅製熨斗、装身具、武器
時期:5世紀後半
新沢千塚を代表する古墳の一つです。低い墳頂のやや西に、刳抜式木棺が東西方向に納められていました。
棺内からは、朝鮮半島や中国大陸からもたらされたと推測される、輝きを放つ金・銀製の冠飾や耳飾、腕輪、指輪などの装身具をはじめ、遠くペルシャ地方からシルクロードを経て運ばれてきたと考えられる、透明のガラス碗や濃厚なコバルトブルーの色彩を帯びるガラス皿などの副葬品が出土しました。また、棺の東側木口には鉄刀、青銅製熨斗などがまとまって置かれていました。熨斗は現代のアイロンにあたり、小型のフライパンのような形をしています。
出土品は重要文化財に指定されており、東京国立博物館で展示されていますが、その一部の復元品は”歴史に憩う橿原市博物館”に展示しています。

 

126号墳の、のっぺりとした墳頂。 

 

そこからは畝傍山がきれいに見えた。

 

126号墳の長方形の角。

 

その周りには円墳が並ぶ。

 

そこから北側に下りる斜面も、円墳の段々畑のようになっていた。 

 

隣の尾根も古墳が密集。

 

杉林の中にも。

 

こちらの古墳は少し変わった形。ここで墳形当てクイズが行われた。 

 

墳頂と見られるところから。

 

解説板は見ずに、裾をぐるりと一周する。

 

答えは「前方後方墳」 

全長40mの古墳群最大の前方後方墳だった。 

81号墳
墳形・規模:前方後方墳・全長約40m、前方部長約12m、幅約20m、高さ約2.5m、後方部長約28m、幅約25m、高さ約4.5m、くびれ部幅約15m、高さ2.0~2.5m
埋葬施設:木棺直葬
主な出土遺物:須恵器、武器
時期:6世紀中頃
前方部が西南西を向く古墳群最大の前方後方墳です。発掘調査当時には、すでに後方部の墳頂中央部は大きく掘り起こされていました。
後方部の南端で、その大半が失われた墳丘主軸と平行する箱形木棺の一部が確認されました。棺内からは、先端部30.8cmのみを残す鉄刀と鉄鏃2本が出土しました。
なお、後方部墳頂部からは、祭祀に使われた須恵器の壺・甕・坏身・蓋・はそうなどが出土しました。

 

前方部の左裾から。 中央左がくびれ部になる。

 

81号墳の墳丘からの眺め。

 

遊歩道の脇にも小円墳が。

 

こちらの160号墳は前方後円墳。前方部右裾から。

 

前方部の墳丘に立って後円部方向。

 

丘陵の西端へ。中央奥は二上山。

 

こちらは173号墳。

 

その解説。墳頂部には埴輪列が円形に巡っていたことが確認されている。

173号墳
墳形・規模:円墳・直径約14.0m、高さ約3.5m
埋葬施設:木棺直葬、長さ3.75m、幅0.75~0.60m
主な出土遺物:土師器、須恵器、埴輪、武器、武具、鏡、玉類
時期:5世紀後半
墳頂東部において6本の円筒埴輪の基底部が並んでいました。埴輪列の内側に、南北方向の組合式木棺が埋葬されていました。また、墓上祭祀に使われた、須恵器壺や土師器の破片が出土しました。
棺内の南木口付近には、滑石製臼玉11個、鹿角装が残る長さ1.2m以上の鉄刀1口、北木口には横矧板鋲留短甲1領や鉄刀と直径約20cmの細線文獣帯鏡1面が副葬されていました。
鏡には(・・・中略・・・)の文字が認められます。
棺外にも21本の鉄鏃や矛、石突が副葬されていました。
本墳は、墳頂部に埴輪列が円形に巡っていることを確認した数少ない古墳です。

 

そのあたりから南西側、御所の方向をズーム。和歌山の紀の川へ抜けるルートで、正面の丘陵の先に宮山古墳があり、その南側の丘陵一帯には別の大群集墳である巨勢山古墳群(約700基)が広がっている。

 

こちらは「シルクの杜」の屋上からの眺め。中央に葛城山、その左が金剛山。

右側の建物は、この後に見学する「歴史に憩う橿原市博物館」だった。 

 

パノラマで。博物館のすぐ先には曽我川が左(南)から右(北)に流れている。

 

「シルクの杜」の屋上には足湯もあったが、時間の都合で見るだけ。

つづく。