前回のつづき。
日没前に訪ねたい古墳がまだ3つ残っていたので、早足で巡った。
まずはキトラ古墳へ。
飛鳥の南端にあり、当初計画では市尾墓山古墳から岡寺へ向かう途中で立ち寄るはずだったが、近くに昼を食べられる店がなく(夫婦で行動する場合は昼を抜くと喧嘩になる)目の前を通過していた。
墳丘だけでも見られたらとの思いで向かったら、今年9月に開館したばかりの「キトラ古墳体験壁画館・四神の館」も見学できた。
駐車場から道路を隔てて見学施設(左)と墳丘への路(右)がある。
すれ違った方に見学施設は地下で繋がっていると教えていただいたおかげでスムーズに入れた。 11月までは17時まで開館。
展示室の頭上には石室天井に描かれていた天文図が投影されている。
石室の精巧な実物大レプリカの中に入ることもできた(床面がないので立ったまま見学可能)
そのほか、高精細拡大の四神図やジオラマなど、無料(駐車場も)であるにもかかわらずとても充実した展示内容だった。階上の部屋では厳重に保管されている現物の様子をガラス越しに遠めに見ることもできた(照明は無し)
出土当初の石室の様子はこちらの展開図がわかりやすい。
公式サイトはこちら。
本日(12/8)の新聞に、玄武・青龍の修復が終わりすべての壁画の修理が完了と紹介されていた。来年以降、実物は年に4回公開されていくようだ。
2年前に上野に来たときには行列して「動きながら」見た。
ちなみに天文図の精巧なレプリカは2017/1/9まで六本木で開催中の「宇宙と芸術展」で見られる。
キトラ古墳壁画の公開についてはNHKの解説がわかりやすい。
四神の館を見学後、2階出口から屋外の緩いスロープを上って行くとかわいらしい墳丘があった。
斜面の上の小さなドームが特別史跡・キトラ古墳。
西暦700年前後に作られ、昭和58年(1983)に発見されるまで壁画を保持し続けてきた。美しい具象画が描かれた古墳は、国内でたった2例しか見つかっていない。
墳丘は築造当時の姿に復元されている。
現地の説明板。
特別史跡 キトラ古墳
史跡指定:平成12年7月31日
特別史跡指定:平成12年11月24日
指定面積:約4381㎡
キトラ古墳は7世紀末から8世紀初め頃に造られた古墳で、丘陵の南側斜面に位置します。墳丘は二段築成の円墳で、発掘調査の成果などから、下段の直径が13.8m、上段の直径が9.4mに復元できます。現在の墳丘は、下段部分を築造当時の大きさに復元しています。内部には二上山産凝灰岩の切石を18枚組み合わせて作られた石室があります。石室内部は奥行2.40m、幅1.04m、高さ1.24mの大きさで、鎌倉時代に盗掘を受けていましたが、刀装具片、琥珀玉などの副葬品の一部と、木棺片や棺の飾金具、人骨などが出土しています。
昭和58年に行ったファイバースコープによる石室内部の探査で、北壁に玄武が描かれていることが分かり、高松塚古墳に次ぐ我が国で二例目の大陸的な壁画古墳であることが明らかとなりました。その後の小型カメラによる探査では、青龍、白虎、朱雀、十二支像、天文図がみつかりました。
石室内部の小型カメラによる探査では、壁画が危険な状態にあることも明確となりました。そのため、早急な対応が必要とされ、平成15年に仮設保護覆屋を設置し、平成16年に石室内の調査を行いました。その結果、すべての壁画を取り外して保存処理を行う方針が決定しました。
この方針を受けて平成22年までにすべての壁画が取り外され、修理が進められました。現在は壁画の保存・公開が行われています。
パノラマで。左がアプローチ。
二段築成の円墳で復元サイズは下段が径13.8m、上段が径9.4m。
上部はチャーハンの盛りのように半球状になっている。
被葬者は”判然としない”がキトラ古墳 - Wikipediaにはいくつかの説が紹介されている。
墳丘下からの南側の眺め。墳丘は南向き斜面にある。
西側をズーム。奥は金剛山。
つづく。