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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

岡寺(東光山 真珠院 龍蓋寺) 奈良県高市郡明日香村岡

前回のつづき。

今回は夫婦旅だったので、古墳だけでなく飛鳥のお寺にも参詣した。

 

市尾墓山古墳探訪の後は飛鳥へ入り、昼食をとってから岡寺を訪ねた。 

 

入口前には、みかんの無人販売所。

 

重文の仁王門は慶長17年(1612)の建立。

 

入山料は一般400円。仁王門の前に説明板があった。

岡寺
東光山真珠院竜蓋寺は俗に岡寺と呼ばれる。天智天皇の御代、義淵僧正によって創建されたと伝え、西国観音霊場33ヶ所の第7番の札所として広く信仰されている。
本尊如意輪観音像はわが国の塑像の中で最も大きく、また、体内佛といわれる金銅半跏像は白鳳の様式を示し、楼門・書院等とともに重要文化財に指定されている。旧寺跡は隣接する治田(はるた)神社境内と推定され、附近より美しい葡萄唐草紋軒平瓦など白鳳時代の瓦が出土している。

 

7世紀、飛鳥の東の山裾に法相宗の僧正、義淵が建立。創建当初は西側に隣接する治田神社(はるたじんじゃ)の位置にあったと推定され、そこからは白鳳期(奈良時代前期)の古瓦が出ている。

 

今の境内は谷状になっており、南側の尾根上には紅葉の美しい散策路もあった。

境内地図はこちら。 境内 | 日本最初やくよけ霊場・西国第七番 岡寺

 

仁王門を抜けて石段を登ると本堂がある。 

 

文化5年(1805)に上棟された大きな本堂だが、それでも内部に入ると5m近い御本尊があるので狭く感じる。

 

御本尊の如意輪観音座像は日本最大(4.85m)の塑像。奈良時代後期に造られた重要文化財。 こちらの公式サイトに写真がある。

御本尊 | 日本最初やくよけ霊場・西国第七番 岡寺

 

4月から12月までは本殿に入って拝観できる。靴を脱いで上がり、檀の正面に座らせて頂いてしばらくその姿に見とれていた。

素材が粘土である塑像は”削りとっていく” 木彫や石像とちがう「張り」があるように思われる。表面の色が白っぽいことや目に白目と黒目が描き入れられていることも独特な雰囲気で、それも惹きつけられた要因かも知れないが、堂々たる体躯が発する力に圧倒された。

こちらに参拝することができてよかった。

 

Wikipediaによれば、塑像奈良時代前期に唐から伝来して後期に盛んとなった。藁縄などを巻きつけた心木に、粒子の荒い土から細かい仕上げ土へと順次盛り上げて造形する技法。

金銅仏を造る場合にも、初めの原型は塑像で作られる。

盛り上げる素材が粘土でなく、漆と混ぜた木屑の場合は乾漆造となる。

 

日本の仏像は平安期以降は木彫が大勢を占めていくが、飛鳥時代から奈良時代にかけては金銅仏や塑像、乾漆造など、多様な素材で盛んに造られており、それらが多く残る奈良は仏像好きにとっても(古墳好きにだけでなく)最も興味深い”聖地”に挙げられる。

日本最古の大型仏像は飛鳥寺の金銅釈迦如来像(609年)であり、岡寺参拝の後にそちらも訪ねた。

 

岡寺では、本尊の胎内仏であった如意輪観音・半跏思惟像(31.5cm、重文)も拝観できた(精巧な複製、現物は京博)

 

本堂拝観の後は奥の院まで上がってみた。

 

斜面を上り詰めたところにある稲荷社。

 

そのすぐ右手の洞窟の中に弥勒菩薩がおられた。 

 

そこから南の尾根道へ。眼下に本堂と十三重石塔

 

木々の間から二上山が望めた。

 

開山の義淵僧正の廟所(南北朝時代の宝塔)

 

そこから見る本殿。

 

 そこから先は「もみじのトンネル」だった。その先は三重塔。

 

赤・黄・緑が混ざり合う。

 

日のあたる側から。

 

三重塔を下から。 

 

そこからの眺め。目の前の林が旧境内の治田神社。

 

上記の右奥をズーム。中景左の緑は甘樫丘。光が当たっている辺りが大和八木の中心街。

 

2枚前の左奥をズーム。

中央の竹薮の先が橘寺。その延長線上に天武・持統天皇陵(野口王墓)や鬼の俎・雪隠がある(ことをグーグルマップで確認した)

 

仁王門の近くまで戻ってきた。

 

ススキを撮っている方がおられたので真似をして。

4月中旬から5月には三千株の石楠花が咲きほこるとのこと。

石楠花 | 日本最初やくよけ霊場・西国第七番 岡寺

 

帰りに治田神社にも参拝した。

岡寺の創建当初の伽藍があった場所で、寺所蔵の寛文年間(1661~1672)の絵図には、治田神社付近に金堂や講堂、塔の跡地が描かれているそうだ。

 

参道の石段は結構急だった。

 

門前の町並みに水の流れ。

 

細道沿いに「八阪神社・産の宮」があった。

 つづく。