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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

顧想園・旧村野家住宅(前編) 東京都東久留米市柳窪

今回訪ねたのは東久留米市の旧家、村野家住宅「顧想園(こそうえん)」

こちらも東京文化財ウィーク2016での特別公開で、事前に往復葉書きでの申し込んで当選し日時指定を受けた。自分は11月13日の13:30集合だった。

 

西武新宿線小平駅で下車し、小平霊園内を通り抜けて徒歩15分ほど。まさに武蔵野を感じさせる緑の中へ。

 

大木のケヤキ並木と生け垣とに沿って進むと、見慣れた幟旗(文化財ウィーク)の立つ入口があった。

集合場所から見上げたケヤキとイチョウは敷地の中。

 

そのすぐ手前に、普段は閉じている薬医門(明治14年築)

 

門の前のスペースも広い。

 

道に面して説明板もある。

みどりの中の文化財
国の登録有形文化財 村野家住宅
村野家住宅は、当市内に現存する唯一の茅葺民家と、それに付随する土蔵や門などが、旧武州柳窪村以来この地に残る、江戸時代から明治期にかけての農村の風景を今に伝えております。そのような歴史的な意義ある貴重な文化財として、平成23年1月26日、国の登録有形文化財に登録されました。
国の登録文化財として登録されたのは次の7件です。
天保9年(1838)建築の主屋、および明治後期建築の「離れ」
江戸時代末期建築の「土蔵」及び「穀蔵」
明治28年(1895)建築の「新蔵」
明治14年(1881)建築の「薬医門」、および大正後期建築の「中雀門」
なお、この村野家住宅は個人住宅であるため、普段は自由に出入りできません。公開は見学会などの形でおこなわれますので、その都度、当市の「広報ひがしくるめ」でお知らせいたします。
東久留米市教育委員会 

 

ボランティアガイドの方によるガイドツアーは敷地の外から始まった。 奥が村野家の敷地。

 

生け垣の中に立つ「市街化調整区域」の看板。緑に囲まれた環境は”自然に残った”のではなく、地域の方々の意思によって残されたものだった。開発の波を、建築制限指定を自ら受けることで防いで来た。

 

そして薬医門へ。大きな扉はケヤキの一枚板で出来ている。

 

門に向かって左手の塀には、欄間のような透かしがある。

 

敷地内の梅林を外からでも見られるようにという配慮からだった。

 

背の高い植木の間を進むと主屋の茅葺屋根が見えてくる。

 

大きな茅葺屋根が美しい。 

 

説明用のマップがあった。主屋の前庭を取り囲むように井戸や蔵がある。

 

釣瓶式の井戸。

 

江戸末期築の穀蔵。

 

明治28年築の新蔵には茶室も附属する。

 

主屋と離れ、新蔵の平面図。

 

主屋の式台(玄関)

 

精巧に彫られた懸魚(けぎょ:妻飾り)

 

広い横幅、そこに架けられた太い梁。 

 

式台前から右方向。

 

主屋内は土間へ入って見学できた。

手間の部屋から「みせ」「ざしき」「げんかん」「おく」

 

座敷の襖絵をズームで。

 

土間の梁。

 

暖簾をくぐると囲炉裏があった。

 

囲炉裏の奥の収納。

 

土間側の壁には釜や鍋、壺が並んでいた。

 

土間の奥の旧みそべや。昔の木製ポンプが置かれていた。

 

最近まで使われていたので、”かって”には電気冷蔵庫やシンクも置かれていて生活感が残っている。

 

土間の右側は旧馬屋。 

 

主屋の裏の土蔵は江戸末期の築。

 

常設の作業小屋も。 

 

北側屋根の苔。

 

裏側からみた旧馬屋部分。

 

主屋の裏手の木戸をくぐると、外の敷地との緩衝帯があった。

 

その先の裏門。

 

外から見た裏門。

 

裏門の先には神社があった。

 

石段の上には天神社。

 

石段上から振り返って。

 

その左手に小川があった。

 

標柱には「東京の名湧水57選」とあった。

つづく。