墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

重要文化財 勝鬨橋見学ツアー(前編) かちどき 橋の資料館 東京都中央区6丁目(築地市場勝どき門横)

隅田川に架かる橋のうち、3つが重要文化財の指定を受けているがそのうちの一つ、勝鬨橋最近のCMで素材になっている。

プレミアムボス ザ・マイルドCM動画 | BOSS TOWN(ボスタウン) | サントリー

CMでは跳ね上げ式に開く姿を見せる可動橋だが、1940年に竣工して最後に開いたのは1970年。10億円程投入すれば直せるらしいが、上流にも下流にも普通の橋がかかり開ける意味はなくなっている。

 

築地側から見た勝どき橋

 

石造りの側壁のある幅広い歩道。奥の2階屋の先がかつての可動部分。

 

動かなくはなっているものの、動かしていた構造・機械はそのまま残っている。変電施設、運転室、そして千トンの錘とその可動空間が残る橋脚内部を見学できるツアーに参加した。

 

無料のツアーだが実施は木曜日(祝日を除く、悪天候は中止)のみで、一日4回(午前と午後に2回ずつ)各回5名程度と条件があり、往復はがきで第5希望まで書いて申し込む。橋脚内見学ツアー

 

袂のテラスから。青い網がかかっているのは橋梁長寿命化の工事のため(平成29年3月末まで)

 

ズームで。先にある2つの橋脚の間がかつて開閉していた部分。

 

上記のテラスに石原慎太郎の揮毫による、重文指定記念プレートがあった。

日本国重要文化財
勝鬨橋 東京都知事 石原慎太郎
[諸元]
橋長:246.0m
幅員:跳開部26.6m、固定部25.8m
上部工:中央径間 鋼製跳開橋、側径間 鋼製タイドアーチ橋2基
[所有者] 東京都
[指定年月日] 平成19年6月18日指定(建第2502号)
[指定の意義] 勝鬨橋は、東京港修築工事の一環として、海運と陸運の共栄を意図し、建造された、中央二連がハの字形に跳ね上がる日本国内において唯一のシカゴ型二葉式跳間橋等で、昭和15年(1940)6月に竣功した。
勝鬨橋の特筆すべき点として、我が国最大の可動支間を有し、大規模でかつ技術的完成度の高い構造物であり上部構造は中央二連の中路式可動桁及び機械装置よりなる跳開橋と、左右一連のこ拱曲線を放物線とした下路式ソリッドリブタイドアーチからなる。
下部構造は直接基礎の鉄筋コンクリート造で内部に機械装置を収め、可動桁の端部が回転する空間を備える橋脚二基と、杭基礎の橋台二基からなる。
建造工事は、東京市が施工し、設計者は東京市嘱託員 成瀬勝武の指導のもと同ぎし瀧尾達也及び安宅勝らである。

 

晴海通りに面しては竣工当時の勇ましいプレートも残っている。

勝鬨橋之記
明治三十七八年の戦役に於て皇軍大捷す京橋区民は之が戦勝を記念し此処に渡船場を設け勝鬨の渡と名付け東京市に寄附す
昭和八年六月東京市は新に双葉可動橋の架設に着手し偶日支事変勃発せるも今年六月功を竣ふ即ち橋に名付くるに亦勝鬨を以てし長く皇軍戦勝の記念となす。
昭和15年12月 東京市長 大久保留次郎 撰并書

 

橋の資料館入口はその裏にある。

 

橋名の由来の「渡し」の船着場にあった碑。

勝鬨の渡し
所在地 中央区築地6-20
明治25年(1892)、銀座・築地方面と月島との間には「月島の渡し」が開設されましたが、月島側の発展にともない、両地の交通はこれのみではさばけない状態でした。
明治38年(1905)、日露戦争の旅順要塞(中国東北部)陥落を契機に、京橋区民の有志が「勝鬨の渡し」と名付けて渡船場を設置し、東京市に寄付しました。当地にある石碑は、この時建てられた記念碑です。石碑の正面に「かちときのわたし」とあり、側面には明治三十八年一月京橋区祝捷会挙行之日建之京橋区同志会(※表示は旧字体)」と陰刻されています。
設置された勝鬨の渡しの渡船場は、ここから約150m西の波除稲荷神社の辺りにありました。対岸にある月島側の渡船場は、月島西河岸通九丁目(現在の勝どき1・3丁目の境)の辺りにあって、この間を渡船が運航していました。
勝鬨の渡しは、住民や月島の工場へ通う人々の重要な交通機関として大いに利用されていました。とくに、月島への労働人口の集中を容易にさせることになり、月島が工業地帯として発展する基となりました。
大正12年(1923)の関東大震災後、架橋運動が起こり、船が通過する際に跳ね上がる可動橋が架せられることになりました。勝鬨の渡しは橋の架橋まで運航され、昭和15年(1940)6月、勝鬨橋の開通とともに廃止されました。
勝鬨の渡しの名は橋名に受け継がれて今もその名を残しています。
平成16年3月 中央区教育委員会

 

そこから石段を少し下りると資料館入口になる。

 

建物は、かつての勝鬨橋変電所。

 

こちらがツアーの集合場所だった。

かつての変電所である「かちどき 橋の資料館」のみの見学は予約不要だが、こちらもオープンは火・木・金・土のみとなっている。かちどき橋の資料館

 

こちらは勝鬨橋の模型。

 

竣工当時は一日5回”跳開”する、東洋一の可動橋だった。

 

施工にはさまざまな国内企業が関わっていた。

勝鬨橋 - Wikipediaには下記の説明がある。

1940年に「皇紀2600年」を記念して月島地区で開催予定であった日本万国博覧会へのアクセス路とする計画の一環でもあったため、格式ある形式、かつ日本の技術力を誇示できるような橋が求められた。そのため、イギリスやドイツ等から技術者を導入せず、全て日本人の手で設計施工を行った。

 

旧変電所である資料館には、変電設備(誘導電動機)がそのまま置かれている。 

 

しかも2基。 

 

電気の流れの説明板。

橋脚内のモーターは「重く大きなものを動かし、モーターの回転速度を自由に調節するのに都合がよい」直流で動かしていたので、ここで電力会社からの交流電気3300Vを直流に変電していた。

 

作業用のクレーンも残っていた。 

 

2階には高圧配電盤。

 

2階で高圧電気を受けて1階の発電設備へ送っていた。

 

今でも充分使えそうな雰囲気。ただしスイッチは接続時に「バチッ」ときそうな剥き出し仕様だった。

 

1階にあった全国の可動橋のパネル。「可動せず」の記載も多いが。

関東だと、日立市の河原子歩道橋(昇開式・月1回程度可動)、同じく日立市の水木歩道橋(昇開式・月1程度可動)、江東区のアーバンゲートブリッジ(跳開式、日数回)、川崎市の新大扇橋(跳開式、随時)の4ヶ所が現役のようだった。

 

それらが架かる位置。西日本に多く残る。

きっとこの世界もブログにされている方がおられると思います・・・

 

昇開橋、跳開橋、旋回橋、引込橋の種類があるそう。

 

集合時間が近づいてハーネス型の安全帯やヘルメットを装着し、まずは7分ほどの説明ビデオを見てから現地へ向かった。

つづく。