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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

特別展「品川産業事始~日本を支えた近代産業群」 @品川歴史博物館・東京都品川区大井6丁目

常設展、企画展

品川区歴史博物館でとても興味深い企画展を見ることができました。

特別展「品川産業事始~日本を支えた近代産業群」は2016年12月4日までの開催です。

 

大井町駅から徒歩15分、大森駅方面へ向かうバスに乗れば鹿島神社前で降りて徒歩1分。近くに大森貝塚があります。

品川歴史館、大森貝塚、大森天祖神社 - 墳丘からの眺め

東海道品川宿がメインの常設展示も見応えがあります。

 

特別展といっても入館料は通常と同じ一般300円。

展示・講座|品川区立 品川歴史館

 

展示内容は明治維新直後の文書類から、懐かしさもある工業製品までさまざま。

1869年から2年間だけ置かれた「品川県」で始まったビール醸造を皮切りに、もともとあった目黒川の水利に鉄道施設という利便性が加わって近代工場の集積地帯となっていく大崎・大井町近辺の様子がよくわかる展示となっていました。

 

品川硝子製造所(明治村に煉瓦積の移築建物現存)や品川白煉瓦株式会社に始まり、東洋製菓、三共(一時期はオートバイ陸王も製造していた)、日本ペイント、星製薬(TOC星薬科大学の前身)、明電舎東洋製罐、東京毛織、東京電気、三菱鉛筆ニコンなど、近代日本の産業を担っていたそうそうたる顔ぶれ。

工場地帯はその後多摩川を越えて、京浜工業地帯へと拡大していったということが理解できました。

 

自分が惹かれたのは「品川白煉瓦」 

創業者の西村勝三は明治8年、「瓦斯燈」のためのガス発生炉用耐火煉瓦を国産品で賄うため、お雇い外国人プレグランの教えを受けて珪質の耐火粘土を用いた煉瓦造りを芝浦で始め、明治17年に工部省深川工作局を合併し明治20年から北品川で耐火煉瓦製造を開始。会社は今でも品川リフラクトリーズと社名を変えながらも高炉等に必要な耐火物を製造しています。

かつてそこで焼かれた煉瓦は富岡製糸場、横浜瓦斯局、東京瓦斯局、八幡製鉄所などで使われ、東京駅建設時の赤煉瓦(赤色外装タイル)は全量が品川白煉瓦製とのこと。

当社の歩み|品川リフラクトリーズ

 

深谷市の日本煉瓦製造が明治21年からで最盛期は明治40年代~大正期、野木町の下野煉化製造会社も明治21年設立とのことなので、それらに数年先立って耐火煉瓦を製造していたことになります。

旧日本煉瓦製造ホフマン輪窯特別公開

旧下野煉化製造会社煉瓦窯(野木町煉瓦窯ホフマン館)

あらかわ遊園の場所にあった広岡煉瓦工場(のちの王子煉瓦株式会社)は明治30年代からとのことなのでさらにその後になるでしょう。

 あらかわ遊園付近の煉瓦塀

 

近代産業の発展は、目黒川だけでなく東海道線沿いであったことが大きいですが、その鍵を握っていた(犠牲となった?)のが東海寺であったこともよくわかりました。

三代家光が沢庵和尚を招いて開山した名刹で、明治2年時点でも約5万坪(48,279坪:約16ha)の寺領を持っていましたが、鉄道敷設計画や社寺上知令により、鉄道用地や工場用地となり 、境内が縮小していきます。(下記は特別展図録中の地図) 

16haは日比谷公園小石川植物園と同じ広さで上野公園(14ha)より大きく、東海寺が江戸の南端を”守る”大寺院であったことがわかります。

 

展示内容は工場のみならず、農園・植物園についての資料もありました。

戸越や大崎は江戸期は江戸野菜の産出地でもあり、明治から大正期にかけては農園や園芸場が次々と開かれ、久米邦武による実験農園(現・林試の森)や妙華園、三井農園(現大崎高校付近)があったことも知りました。

 

現在大規模再開発中の西品川一丁目はかつて荏原製作所明電舎があった場所ですが、その南西のJR東日本社員寮があった辺りは妙華園があった場所だそうです。

(下記が推定地。特別展図録より)

 

現在の様子(JR東日本社員寮跡。再掲、前日のエントリより)

 

妙華園は明治28年に河瀬春太郎によって開園し、当時は向島百花園と双璧をなす一大フラワーテーマパークであったそうですが、周辺に工場が進出して植物の栽培に適さない環境となったために大正10年に閉園したそうです。

 

ひとつひとつ丁寧に観ていくと結構時間がかかりますが、おすすめの特別展です。

写真資料満載で地図も付いた図録(A4版)は、お値打ちの1000円。