墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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春の小川跡~切通しの坂~参宮橋公園~三字橋 東京都渋谷区代々木4丁目

前回のつづき。

刀剣博物館を出てすぐの電柱に、”春の小川”の水源・手前左との案内があった。

高野辰之の作詞、岡野貞一作曲によって1912年につくられた小学唱歌は、このあたりを水源とする河骨川(こうほねがわ:渋谷川・古川の支流)が題材となっていたそうだ。

看板の2次元バーコードにスマホをかざすと下記のサイトにつながる。

「春の小川」の情景

 

「手前左」に戻り、水源を探すが見当たらず。

 

帰ってから渋谷区郷土博物館で購入した”文化財マップ”を見ると、中央やや上の刀剣博物館のすぐ北側に池のような跡がある。

 

別の機会でもう一度訪ねたが、現地に印はないようだった。正面の白い建物が”その辺り”のはずだが。

 

案内表示のある電柱前のマンホールからは水流音が途切れなく響いていた。

 

文化財マップにあった「切通し坂」も上ってみた。

ぐいぐい坂を登る自転車。最近は登っていても後ろに気をつけないと危ない。

 

坂下角では”アパート”新築中。

 

その上の駐車場脇に標柱があった。

岸田劉生が描いた「切通しの坂」
画家岸田劉生は、大正3年(1914)から5年(1916)にかけて代々木山谷に住んでいたので、このあたりを描写した作品がたくさんあります。そのうちの一点に名作「道路と土手と塀(切通之写生)」(重要文化財)があり、この前の坂を描いたものです。

 

標柱の位置から坂下方向。かつては奥の横断歩道のあたりを河骨川が流れていたはず。

 

岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年|東京国立近代美術館|鑑賞教育キーワードmap

かつての風情は影も形もない。

 

 坂上にあったモジャハウス。

 

そのあたりから振り返ったところ。

 

坂上にも、石に刻まれた碑があった。文面はほぼ一緒。

 

碑の背面は立正寺。

 

ここからは刀剣博物館からの帰路の際の写真。

「切通しの坂」と勘違いして撮った一本北に並行する坂。

 

谷底に別の源流からの川跡。

 

奥の深い行き止まり。

 

たどり着いたどん詰まり。廃墟のような階段の先は数m高い場所に山手通り。

 

回れ右して、来た道を戻る。

 

刀剣博物館付近からの流れとの合流地点。

 

そのまま「春の小川」は小田急線の方へ、そしてかつては渋谷センター街を抜けて渋谷川と合流していた。

 

「小川」だったはずなのに、台地はかなり削られていて周辺には坂道が多い。

東方向へ急坂を上る。

 

坂上から振り返って。

 

そこと南側に並行する別の坂。

 

谷を隔てた対岸が良く見えた。

 

さらに南には参宮橋公園が台地端にあった。

 

金網の先から結構急な傾斜。

 

気持ちの良い草地の広場。

 

再度坂を下り、川跡らしき細道を行くと煙突が見えた。

 

銭湯はすでに廃業。

 

売り物件となっていた。

 

じきに煙突はなくなってしまうのだろう。

 

反対側(旧河骨川の西側台地)へ上ってみて振り返ったところ。

 

斜面を横に沿う枝道。

 

なかなか複雑に入り組む。

 

階段もあった。

 

刀剣博物館の方へ戻り甲州街道の尾根道に上がる手前で振り返ったところ。

 

階段の上は遊歩道になっていた。かつての玉川上水で今は地下に京王線が通る。

 

道路が横ぎるところには欄干が残っていた。

 

三字橋(みあざばし)

 

逆側には水道管も残っていた。

 

その先は初台の交差点。上は首都高西新宿JKT。