墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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中坂・大横丁坂・木下坂・新富士坂・青木坂 東京都港区西麻布・南麻布

前回のつづき。

麻布学園の学校説明会の後、近辺で未探訪の坂道を歩いてみた(写真はiphone)

 

愛育病院前の交差点。

背後に麻布学園の校門、奥は北条坂、左が木下坂。右は旧テレビ朝日通りで尾根道を六本木ヒルズに至るが途中に中国大使館があるので警備が厳重。

 

北条坂の北側に並行する中坂。 標柱はないようだった。

 

坂下側から。最後のひと上りが急傾斜。

 

坂の脇にある駐車場では矩面に石垣が積まれていた。

 

六本木ヒルズの2つ手前の信号で西に折れると大横丁坂。車は上りの一方通行。

区のサイト・港区公式ホームページ/大横丁坂(おおよこちょうざか)より。

江戸時代、この付近を俗に大横丁と呼んでいたことからこの名がついた。富士見坂とも呼ばれていた。

 

途中でゆるやかにカーブする。

 

坂の途中にラオス大使館。

 

その先のギリシア大使館前から振り返ったところ。

 

南側に横道を入ると、大横丁坂に並行して雰囲気のある坂があった。

 

坂上方向。石垣や木立がいい雰囲気をつくっている。

 

上記の坂を下りて左折してさらに下る。

 

その先には笄(こうがい)小学校があった。

笄とは江戸期の、髪を掻き揚げて髷を形作る装飾的な結髪用具で、日本刀(脇差)の付属品のひとつにもなっていた。笄 - Wikipedia

かつてこの西側に渋谷川の支流・笄川が流れ、今でも笄坂がある。

 

小学校にいい感じの細道があったので上っていく。

 

上りきって振り返ったところ。このすぐ背面左に紺屋坂があったが写真を撮りそびれてしまった。

 

再び愛育病院前の交差点に戻り、有栖川宮記念公園沿いの木下坂を下りた。

かなり下りてからの分かれ道に立つ標柱。

昨年5月にも坂を下った。

有栖川宮記念公園 南部坂 木下坂 東京都港区 - 墳丘からの眺め

木下坂(きのしたざか)

北側に、大名木下家の屋敷があり、その門前に面していたために、呼ばれるようになった坂名である。

 

その標柱から坂上方向。

 

坂を下りて直進して左へ回り込む道を行くと、道沿いに広尾稲荷神社があった。

拝殿の天井に高橋由一の筆になる黒龍図が描かれているそうだが、時間が遅かったので扉は閉まっていた。

広尾稲荷神社/広尾稲荷拝殿天井墨龍図 高橋由一筆|港区観光協会 - 港区を楽しもう!

 

本殿の先、道沿いに庚申塔の祠があった。

 

祠の内部。

 

説明板があった。

港区指定有形文化財
歴史資料 広尾の庚申塔
庚申信仰は、庚申の日の夜に体内に住む三尸虫(さんしちゅう)が、眠っている間に体内を抜け出して、天帝にその人の罪科を報告して生命を縮めるといわれているため、眠らずに一晩を明かすもので、講の形をとって地域住民の交際の場となっていました。庚申塔は庚申信仰を具象的に表現する塔として、室町時代後期以後各地で盛んに建てられました。
三基とも方形角柱の笠塔婆型で、塔身が太く、堂々としています。社伝によれば、広尾稲荷神社の別当寺であった千蔵寺の住持祐道の代に、講の人々の浄財を得て立てられたものです。三基のうち、中央には元禄三年(1690)、左には元禄九年の年号があり、右は摩滅のため年代不詳ですが、状況から左の二基よりも古い可能性があります。庚申信仰が全国的に盛行している時代の産物であり、この地域も例外ではなかったことがわかります。
庚申信仰の実態は、この地域ではすでにほとんど失われ、過去の組織の状況を伝えるものも全くありませんが、さまざまな要素を合成しながら、自主的な民間信仰として庶民の間に行われてきたものであり、都心化したこの地域での、かつての信仰のあり方を想起させる遺物として、三基の庚申塔は貴重な存在となっています。
昭和55年11月15日指定(平成22年3月建替) 港区教育委員会

 

神社の裏手は広い範囲で建築工事中。

 

7000㎡の敷地に3800㎡の建築面積で地上12階のマンションが建つ予定。

 

そのまま道なりに進んでいくと、風情のある板張り住宅があった。がんばって残ってほしい。

 

その向かいの敷地でもマンションが。

 

こちらは敷地1800㎡、建築面積1170㎡で5階建て。

 

その先で左に折れて「新富士見坂」を上る。

 

標柱の解説。

しんふじみざか
江戸時代からあった富士坂(青木坂)とは別に明治末、大正ごろに開かれた坂で富士がよく見えるための名であった。

 

左へ右へと直角に曲りながら登る。

 

カーブの脇に石の柵。

 

下を除くと結構落ち込んでいた。

 

 鉤の部分で振り返って。

 

最後の上り。

 

 上りきった場所にも標柱があった。そこから振り返って。

 

ズームすると広尾の都営アパートがあった。

空は日没の色。かつては富士も見えたか。

 

坂上を右折した。立派な門柱の敷地内で工事中。

 

QUON南麻布アネックスという外国人向け高級賃貸マンション(地上3階)の新築工事だった。

 

道はその先でフランス大使館に突き当たる。

 

突き当たって右に青木坂。

 

標柱の解説。

あおきざか
江戸時代中期以後、北側に旗本青木氏の屋敷があったために呼ばれた。

新富士見坂の解説には富士が見えたので別名富士見坂とあった。

 

愛読書「大江戸坂道探訪」に青木坂は次のように表現され、いい写真もあって、この坂を訪ねることは以前から楽しみにしていた。

屋敷から枝を伸ばした樹木が坂を覆い、緑のトンネルを演出する。坂下から眺めていると、犬を連れた外国人が坂上で異界に吸い込まれていくようだ。

「大江戸坂道探訪」 日本坂道学会会長 山野勝著 - 墳丘からの眺め

 

坂の北(左)側はQUONの、南側は途中からプラウド南麻布のマンションになっていた。

 

坂下から見上げたところ。歩道がついて安全にはなっているが…

 

坂の右にはおしゃれな「南麻布富士見町会館」

立っている位置の背面は、米軍関係者施設のニュー山王ホテルだった。