読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

富士見坂 扇塚古墳(跡) 多摩川浅間神社(浅間神社古墳) 東京都大田区田園調布1丁目

東京都の古墳 東京都の寺社、遺跡 建築物、公園、街道、坂道

前回のつづき。

雪が谷大塚駅から西に1km近く歩いてくると、多摩川に近づく。

カーブしながら台地を降りる坂があった。

 

富士見坂の標柱があった。大正末期ごろにつくられた「新しい」坂だった。

この坂道は、大正末期ごろから行われた耕地整理によって出来た道である。ここからは、富士山がよく見えるので、富士見坂と呼ぶようになったといわれている。

 

車は下りの一方通行。

 

途中で振り返って。

 

坂を下った道沿いに碑があったが、あとで古墳跡を示すものだと知った。

こちらのかたのサイト・フィールドワークを活かした授業づくり講座2(多摩川台古墳群)によれば、扇塚古墳は1996年11月にマンション建設により破壊されたが、調査により内行花文鏡と素文鏡、鉄剣、鉄鏃、ガラス小玉、土師器の高坏などが出土し、それらにより4世紀初頭の都内最古の古墳であったとのこと。

古墳なう さんでは前方後「方」墳の可能性も紹介されているが、今となっては確かめようがなく残念無念。

 

坂下の標柱。 すぐ左は宗教法人の研修施設だった。

 

坂下で東急多摩川線の踏切をわたると、多摩川浅間神社への参道があった。

 

浅間神社らしく、両脇に溶岩が置かれた石段を登る。

 

横穴墓かと思わせるようなところ。

 

上から振り返ったところ。

 

丘の最上部にある拝殿。 全長60mの前方後円墳(推定)の上に建つ。

 

キャッチフレーズは「古墳の丘の氏神様」

以下は、大田区ホームページ:浅間神社と浅間神社古墳より。

北条政子が、信仰する富士浅間神社に、夫である源頼朝の武運長久を祈り、この地に持仏の観音像をまつったのが、この神社の始まりと伝えられます。社殿改築の際、5世紀末から6世紀前半にかけての人物埴輪や動物埴輪などが出土しました。この古墳は、全長60mの前方後円墳と推定され、「浅間神社古墳」と呼ばれます。

 

この古墳については、以前に品川区立品川歴史館で購入した資料(2005年の特別展)に情報が記載されていた(19頁)

平成2年の発掘調査で全長60m、後円部径約32m、前方部幅約30m、埋葬施設は確認されていないが、竪穴式石室を有すると考えられているとのこと。

 

出土した人物埴輪、動物埴輪の写真。

 

実測図の記載もある。

前方部は後円部の西側に位置し、丘陵の地形に沿って多摩川よりにやや折れ曲がる。

東横線でここを通過する際は、かつての前方部を通らせていただいていることに思いを至らせたい…

 

 

拝殿の手前左側が、下に建つ社務所屋上に続いていて見晴らしのよい展望台になっていた。

 

多摩川上流方向。右に連なる緑が多摩川台古墳群がある丘。

多摩川台古墳群は3年前に家族で訪ねた。このときはブログを非公開にしており、翌年に公開した際に家族写真を抜いたのでスカスカのエントリになっている。

国史跡・亀甲山古墳 宝莱山古墳 野毛大塚古墳 東京都大田区 - 墳丘からの眺め

 

 

多摩川の先には武蔵小杉の街が望める。

「シンゴジラ」のタバ作戦の指揮所はここに置かれた。

 

パノラマで。左が中原街道、右が東急東横線の橋梁。

 

条件がよければ富士山が拝めるがこの日はくもり。大山はうっすら見えた。

 

”展望台”から拝殿を振り返って。すぐ横は急斜面。

 

大きな水晶玉が奉納されていた。

 

参拝後、下から見上げた境内。

 

東急多摩川駅を背にして。錆びた看板の後ろが浅間神社社殿。つまり後円部。

 

東横線のガードをくぐって。中央が浅間神社本殿がチラリと見えている。東横線が通る前はこのあたりから前方部裾が見えていたはず。

右側に多摩川台古墳群のある丘が続く。

つづく。

 

このエントリでちょうど「1000日目」となりました。継続期間は801日目、投稿数は1254記事目。

文中にも書いたとおり、初めは備忘のつもりのブログでしたが、2014年からおそるおそる公開し、その夏から(予約投稿しながらも)連日エントリするようになって、自分でも驚くほどの数になりました。

ここまで続けられたのは、読んでいただいている方がおられることを意識してきたからだと思います。みなさまがた、そしてこの仕組みを提供していただいている「はてな」の方々に感謝いたします。いつもありがとうございます!

今後もなるべく続けていきたいと思いますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。