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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

我善坊谷 行合坂・落合坂・我善坊谷坂(稲荷坂)・三年坂・雁木坂 東京都港区麻布台

建築物、公園、街道、坂道

前回のつづき。

狸穴坂を登った先のロシア大使館や麻布郵便局、外交資料館がある台地の尾根の北側には我善坊谷がある。

谷へ向かうには東か西から回り込んでいくしかないので、西側から回ってみた。

 

外苑東通りと麻布通りとの交差点(飯倉片町)の北東角にある「インターナショナルクリニック」は樹木に覆われているが古そうな建物だった。

大正時代に建てられた洋館は、2014年に90歳で亡くなられたロシア人のドクター・アクショーノフ氏が院長であった外国人向けの医院だった(現在は閉院)と、今回初めて知った。

六本木に国籍のないドクターがいた。- ほぼ日刊イトイ新聞

ロシア人の「赤ひげ先生」逝去 享年90歳

患者さまは外国人 無国籍ドクターと空飛ぶナースのドタバタ診療日誌

患者さまは外国人 無国籍ドクターと空飛ぶナースのドタバタ診療日誌

 

 

 病院の北隣は港区立麻布小学校・麻布幼稚園。

 

かつてこの敷地には紀州徳川家の屋敷があり、邸内には”わが国初の私立図書館・南葵(なんき)文庫”や、”わが国初の音楽ホール・南葵楽堂”があったが、関東大震災で大打撃を受けて文庫の蔵書は東京大学総合図書館へ、音楽堂のパイプオルガンは上野の旧東京音楽学校奏楽堂」に移されたそうだ。

 

小学校から北へ進むと坂が現れた。左の麻布通りと並行する。

 

標柱があった。

行合坂 ゆきあいざか
双方から行合う道の坂であるため行合坂と呼んだと推定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるためか、さだかでない。 

 

坂の途中には、珍しいベラルーシ家庭料理の店・ミンスク

 

南北から坂が降りていき、通り側の壁が高くなっていく。

 

行合坂の底がT字路になっていて、落合坂の起点になっていた。 

落合坂 おちあいざか
我善坊谷へ下る坂で、赤坂方面から往来する人々が、行きあう位置にあるので落合坂と呼んだ。位置に別の説もある。

 

道を直角に折れて我善坊谷の底を東へ下がっていく。落合坂はゆるい傾斜だった。

 

左右に枝道があるが行き止まりが多い。板壁の家もあって懐かしい雰囲気。

 

暮らしの気配のない家も多かった。森ビルが管理する物件が多い印象。

 

坂の左右に枝道があるが、両側が崖の谷地形なのでほとんどが行き止まり。 

 

奥に庭?につながる小道。

 

駐車場の奥の板壁家屋。

 

 門の奥の細道に街灯があるが、夜は灯るのだろうか。

 

書家の吉田苞竹(よしだほうちく)記念会館があったが、アークヒルズ仙石山テラスへ移転し、こちらの建物は閉鎖されていた。書壇院|アクセス

 

その先にあった落合坂のもう一方の標柱。 

 

そこからもと来た道を振り返ったところ。谷の下でも住所は麻布台。

 

そこから谷の北と南に上る道があった。北へ向かう道。 

 

途中に魅力的な枝道があったが行き止まりとなった。

 

坂の手前に古い家屋が並ぶ。

 

台地の前で左に直角に曲がりながら上っていく我善坊谷坂(がぜんぼうだにざか、別名を稲荷坂)

めずらしい名前の由来は、坂道研究家の山野勝氏が次のように記している。

http://www.to-gisi.com/magazine/42/doc05.pdf

寛永3(1626)年10月、二代将軍徳川秀忠の正室であるお江与(崇厳院)が逝去し、その葬礼が芝増上寺で行われた。荼毘に付されたのは、今の六本木駅近くにある深広寺の旧地だったが、葬列の途中の道筋にあたる坂下のこの谷地に仮御堂が置かれた。この仮御堂のことを龕前堂(がんぜんどう)と称し、 後にこの一帯が龕前堂谷と呼ばれるようになりやがて我善坊谷に転訛したという。

もう一つの説は、この谷地で座禅を組むお坊さんがいたので座禅坊谷という地名が起こり、これがなまって我善坊谷に変わったともいう。

 

曲がり角で振り返ったところ。

 

曲がった先の中腹から。奥の大屋根は霊友会釈迦殿。

 

坂上から。右に下るのが我善坊谷坂。

 

 台地上から我善坊谷。対岸で台地上に登っていくのは三年坂。

 

金網越しの一枚。台地上で横に大きく拡がっているのは麻布郵便局。

 

金網の隙間から。

 

こちら側の台地上にはタワーマンション(六本木ビュータワー)や高層オフィス(六本木ファーストビル・アークヒルズ仙石山森タワー)が立ち並び、芝生の公開空地があった。

台地(仙石山)はホテルオークラの方へと北に延びている。

 

台地上にも戸建はあるが邸宅が多い。立派な冠木門のあるお宅。

 

2階は広間のようだった。

 

こちらは料亭か。

 

 我善坊谷へ戻って、南側の台地上への坂を上る。

 

布土木事務所による坂の由来の標柱があった。

三年坂の由来
いつのころよりこの坂がそう呼ばれたのか、誰に名づけられたのか定かではありません。しかし、東京が江戸と呼ばれていた時代には無名ではあります。すでにこの坂がありのち石段になったようです。また、三年坂は別名三念坂などとも呼ばれ同じ名前の坂がほかに数箇所あります。
京都清水のそばに同名の坂があります。昔の人が遠くふるさと京都をしのぶ気持ちを坂の名前にこめたとしたらロマンでしょうか。
平成17年8月 麻布土木事務所

 

鉤形に曲がる坂の中段は両側に階段がついていた。

 

上記の石段の下から北方向。正面奥が我善坊谷坂になる。

 

上から見下ろす三年坂。

 

我善坊谷全体を見渡せる眺めがあった。

 

霊友会の脇の直線道。

 

進んでいくと左に降りる石段があった。雁木坂(がんぎざか)の標柱も。

雁木坂 がんぎざか

階段になった坂を一般に雁木坂というが、敷石が直角に組まれていたからともいい、当て字で岩岐坂とも書く。

 

 坂の途中の踊り場がY字路になっていた。

 

南側へ続く細道。

 

坂を降りて見上げたところ。

 

霊友会社殿への入口があった。

 

我善坊谷で我善坊坂や三年坂に上らずに東へ向かうと谷底の細道は国道1号線に至り、神谷町駅の近くに出る。そこに至るまでにも古い街並みが続く。

 

ここは行き止まりだった。

 

谷から遠望した六本木ヒルズ