墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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狸穴坂 鼠坂 植木坂 麻布郵便局(旧逓信省本庁舎) 東京都港区東麻布・麻布狸穴町・麻布永坂町・麻布台

前々回のつづき。

三田一丁目から古川を北側に渡ると東麻布の平地があり、さらにその北は麻布永坂町、麻布狸穴町、麻布台と再び台地上になる。

 

三田の元神明宮から北へ向かう道は中之橋で古川を越え、そのまま東麻布商店街へと続いていく。このときは”かかしまつり”(9/30、10/1)の準備が進められていた。

 

次第に道が上るあたりで左折、右手台地上のアフガニスタン大使館や東京アメリカンクラブのゴージャスな建物を見ながら西に進んでいくと狸穴坂下に出る。

東麻布の町の北側、国道1号から狸穴坂までの400mほどは台地の上と下を連絡する道はなかった。

 

狸穴坂(まみあなざか)の標柱があった。

狸穴坂 まみあなざか

まみとは雌ダヌキ、ムササビ、またはアナグマの類で、昔その穴が坂下にあったという。採鉱の穴であったという説もある。

 

横穴式古墳があったのではと勝手な想像を巡らした。

 

初めは緩やかな坂だが途中で傾斜がきつくなる。右の台地上はロシア大使館。

 

途中から見下ろしたところ。

 

坂上から。

 

坂上は外苑東通り。下を地下鉄日比谷線が通っている。

狸穴坂の東側にはロシア大使館。

 

ロシア大使館の斜め前、狸穴坂を上ってきた正面には麻布郵便局・日本郵政グループ飯倉ビル。道の向かい側からでも全容が撮れない。

 

右(東)側に郵便局窓口がある。

 

5本の列柱がある正面玄関。

 

堂々たる建物は昭和5年(1930)に竣工した。設計は大蔵省営繕管財局、施工は銭高組。

昭和18年(1943)から逓信本省庁舎として使用され、1949年に二省分離(郵電分離)により発足した旧郵政省が昭和44年(1969)まで郵政本省庁舎として使用していた、とのこと。~麻布郵便局 - Wikipediaより。


ひとつ南の台地上の旧逓信省簡易保険局庁舎(昭和4年竣工)とほぼ同時期に建てられている。どちらも逓信省。

上空から見る印象も近いものがある。

 

入口の「近寄りがたさ感」も似ている。

 

東側側面。修繕工事中だった。貴重な昭和初期建築、末永く残していただきたい。

 

狸穴坂の西側は谷状になっていて狸穴坂と並行した道が途中まで北に続く。

その突き当たり。右の階段を上ると狸穴坂に合流する。

どこまでが建物でどこからが擁壁か区別が難しい構造物があった。

 

左を見ると階段で、鼬坂(いたちざか)に出る。坂下に島崎藤村旧居跡の碑があることをあとで知った。

 

狸穴坂と並行して西側にもう一本台地上と連絡する坂があった。

狸穴公園の少し北からはじまる鼠坂。

 

坂下の標柱。

鼠坂 ねずみざか

細長く狭い道を、江戸でねずみ坂と呼ぶふうがあった。一名鼬(いたち)坂で、上は植木坂につながる。

 

谷を上がるよう。

 

坂上から振り返って。

 

坂上には崖下から建つ建物の屋上入口と、謎な空き地があった。

 

そのまま道なりに進むと左に折れて植木坂。けっこう傾斜がある。

 

植木坂の標柱。

植木坂 うえきざか

この付近に植木屋があり菊人形を始めたという。外苑東通りからおりる所という説もある。

 

坂上から振り返ったところ。正面のビルはグランスイート麻布台トップヒルタワー。

 

台地上は緑溢れる静かな高級住宅街だった。その一画にブリヂストン美術館永坂分室の建物があった。創業者の石橋正二郎氏の元邸宅。以前は見学もできたようだ。