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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

旧野田商誘銀行(千秋社社屋)~奥富歯科医院~キノエネ醤油~キッコーマン野田工場 

建築物、公園、街道、坂道

前回のつづき。

流山街道に面して、キッコーマン本社の北側にも堂々とした建物があった。

 

・株式会社千秋社社屋(旧野田商誘銀行)設計者は不詳。

商誘(しょうゆう)銀行の名は、創立委員のほとんどが「醤油」醸造家だったことにちなむそう。

興風会館(昭和4年)より3年早い大正15年(1926)の竣工。当時流行していたアールデコ様式を取り入れていて、近代化産業遺産の指定を受けている。

2階建て鉄筋コンクリート造り 。壁石の色がきれいだった。

 

重厚な正面入口。

 

その上部の大きなレリーフ

 

南側の面にも出入口があった。壁はモルタル塗りのようだった。

Wikipediaによれば、野田商誘銀行は1900年(明治33年)に野田の醤油醸造業者らが設立、堅実経営により1910年ごろには県内大手に成長したが戦時中に千葉銀行と合同させられて千葉銀行野田支店に。建物はその後使用されなくなるが1970年に株式会社千秋社の所有になった。

千葉県立現代産業科学館のサイトに詳細な解説がある。

 

キッコーマン本社との間にも、古そうな倉庫と木造建物があった。

 

通りの反対側にもモダンな洋館があった。

・奥富歯科医院 昭和初期の築造。

 

板塀に囲まれている。

 

塀の上から。この日は日曜日だったが営業している様子ではなかった。

 

そこから流山街道を300mほど北へ向い信号を左折するとキノエネ醤油の工場エリアになる。 

 

・キノエネ醤油社屋および工場群 

黒塀が続く小道があった。野田の醤油のもうひとつの名門、キノエネ醤油。「白醤油」の出荷量は日本一だそう。

 

塀の崎には、明治30年築の本社社屋や大正10年築の鉄筋コンクリート造りの作業場があるとのこと。

 

生活感のある2階屋も。

キノエネ醤油は小津安二郎監督とゆかりがある。監督の妹がキノエネ醤油の経営者の家系に嫁いだ縁があり、戦時中に母と弟が野田に疎開していて監督自身も復員後に一時野田で暮らしたそうだ。

 

道の両側に工場が続く。 

 

道に面してタンクがならんでいた。

 

昭和の雰囲気が残っていた。

 

流山街道に戻ると和菓子屋さんが目に入った。

 

建物脇の煉瓦塀が立派だった。

 

次は野田市駅の近くのキッコーマンの工場へ。そびえ立つタンクがランドマークになっている。

 

こちらでは「もの知りしょうゆ館」として工場見学ができる。

もの知りしょうゆ館(野田工場) | キッコーマン ホームページ

このときは時間がなかったので「御用蔵」を外観だけ見学した。

 

宮内省に納める御用醤油専用醸造所として1939年(昭和14年)に別の場所(江戸川沿い・中野台)に造られ、築70年を経て2011年に現在地に移築された。今でも宮内庁に収める醤油を醸造しているそうだ。

 

城郭のような外観。月~金で見学ができる。

御用蔵(野田工場) | キッコーマン ホームページ

つづく。