墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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柄鏡形敷石住居跡 東京都国分寺市本町

国分寺市の日立製作所中央研究所を訪れる機会があった。

国分寺崖線を含む敷地20.7haの45%が緑地で、ハケからの湧水は野川の源流となっている。

武蔵野の森に集う生き物たち:環境への取り組み:日立

 

研究所内は撮影不可だったので紹介できないが、国分寺駅から研究所正門へ歩く途中に縄文期の遺跡があった。

 

都営アパートの並びの児童公園で後ろの塀の向こうは中央研究所。

 

一見大きな砂場かと思いきや、説明板がある。

 

縄文時代中期末葉~後期(約4000年前)の住居跡だった。

柄鏡形敷石住居跡 復元模型
ここに展示された「柄鏡形敷石住居跡」は都営国分寺本町4丁目アパート建設に伴う事前調査によって発見された5軒の内、最も保存状態が良好であった第19号住居跡を再生復元しました。大きさは南北約5.6m、円形の部分で直径約3.8mあり、深さは約50cmです。
「柄鏡形敷石住居跡」は、今から約4千年前、縄文時代中期末葉から後期初頭の頃のもので、関東地方から中部地方にかけての広い範囲で発見されています。
市内ではこれまでの調査で恋ヶ窪遺跡に2軒、羽根沢遺跡に3軒、恋ヶ窪東遺跡に1軒の合計11軒が発見されています。この住居の特徴は、床面に平らな河原石を敷き、入口となる長い張出し部を持っていることで、その形が丸い鏡面に長方形の柄をつけた「柄鏡」に似た形をしていることからこの名前が付けられました。
「柄鏡形敷石住居遺跡」は、その特殊な形と大型の石棒等の特殊な遺物が出土することと、関東地方から中部地方にかけて発見されるこの時期の住居跡の大部分が「柄鏡形敷石住居跡」であることから、当時の気候がしだいに寒冷化することに対応するための作りであると同時に、石を敷くことによって住居の中を区画して、屋内に「まつり」にかかわる施設を設けた住居であるという考えが出されています。
国分寺市教育委員会社会教育部文化財課 平成7年3月30日設置

 

平面図のアップ。とても親しみの持てる形(前方後円)だが時代は全く別。

 

「住居の中を区画して、屋内に『まつり』に関わる施設を設けた住居」との考え方があるそうだが、屋根をかけて内部が暗くなると躓きやすくて住みづらいのではと感じてしまった。

 

 

 

実は府中市郷土の森にも移築復元された同タイプの遺構があったのだが、前回訪問時では時間切れで見学しきれなかった。

柄鏡形敷石住居跡|公益財団法人府中文化振興財団

 

近辺では三鷹の国立天文台構内にも同タイプの遺構が出土している。

講座研修室 大沢の遺跡3〜天文台構内遺跡の発掘調査(縄文時代)〜

天文台構内には上円下方墳が存在している。

天文台構内古墳 国立天文台三鷹キャンパス・前編 東京都三鷹市大沢 - 墳丘からの眺め

 

中央研究所の森にも眠っているままの古墳があるのではないか、などと・・・