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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

院内勅使塚古墳 石川県七尾市下町

前回のつづき。

雨の宮古墳群の次は、石川県指定史跡となっている院内勅使塚(いんないちょくしづか)古墳を訪ねた。

 

雨の宮古墳からは眉丈山を下りて邑知地溝帯を北東へ車で30分ほど。JR七尾線の徳田駅のそばにある。

 

車を停められるスペースもある見学しやすい古墳。

 

堂々とした石室入口。

院内勅使塚古墳は北陸最大級の横穴式石室を持つ方墳。

古墳時代末期(7世紀前半)築造なので、雨の宮1号墳より300年ほど新しい。

 

子供たちにもわかりやすいように丁寧に書かれた説明板があった。

院内勅使塚古墳

名称:院内勅使塚古墳(いんないちょくしづかこふん)
時代:7世紀前半(古墳時代末期)種別:石川県指定文化財(史跡)
指定年月日:昭和47年3月21日、指定面積:1,043㎡
所在地:七尾市下町、所有者・管理者:七尾市

・古墳の大きさ
長さ(一辺)23.0m、高さ3.7m、周濠の幅6.0m、周濠の深さ1.8m

・石室の大きさ
全長11.8m、玄室の長さ4.6m、玄室の幅2.5m、玄室の高さ2.0m、羨道の長さ7.2m、羨道の幅2.1m

 

古墳とは死者を葬るために、土を高く盛り上げて作った古代のお墓です。西暦4~8世紀にかけてつくられ、今も日本の各地にたくさん残っています。
古墳は大きさや形がさまざまです。七尾にも前方後円墳前方後方墳、円墳、方墳などたくさんつくられています。中でも院内勅使塚古墳は北陸最大級の石室をもつ方墳として有名です。
「うわあっ!こんな大きなお墓をなぜ、どうやってつくったんだろう?」「どうして、こんな形をしているのかな?」「石はどうやって運んだんだろう?」古墳を目の前にしてだれもが疑問に思います。
一つの古墳をつくるには、たくさんの人たちの労力と時間が必要です。院内勅使塚古墳のような大きな古墳ができたのは、この付近に多くの人々を使うことができた強い支配者(豪族)がいたからです。四角い形の大きな古墳は、位の高い豪族だけがその力を示すためにつくることができたのです。
院内勅使塚古墳は7世紀の初めごろにつくられました。墳丘は大きな石を支えるため、黒い土を黄色い粘土を交互に重ねて固くたたきしめる版築工法でつくられ、周りにお墓を区画するための周濠をめぐらせています。石室は重さ5トン以上の石8個を中心にたくさんの石を組み合わせてつくっています。
石室は江戸時代以前から開いていたため、石棺や副葬品などは残っていませんでしたが、発掘調査で入口付近から、古代の土器である須恵器製の蓋や杯が発見され、古墳のつくられた年代がわかりました。ここに葬られた人の名前はわかりませんが、能登を支配した豪族、能登臣氏のお墓と考えられています。
院内勅使塚古墳は千年以上の長い間、風雪に耐えてきましたが、傷みがひどくなったため、七尾市が昭和60・61年と平成6年の三ヵ年で修理を行いほぼつくられた当時の姿に復元しました。

 

いざ内部へ。

 

入口からフラッシュで。左右と上部に巨石が配される。

 

堂々たる玄室。

 

左側の壁。

 

奥壁。玄室の高さは2.0mあるので余裕で立てる。

 

フラッシュで。

 

巨大な天井石は10トン近くになるそう。

 

奥壁前から入口。

 

フラッシュで。 組まれている巨石は30個以上になるそう。

 

以下は石川県のサイト院内勅使塚古墳より。江戸時代から知られた古墳だった。

院内勅使塚古墳は、七尾市街地から南南西へ6km、二宮川流域の平野部に位置しています。古墳の存在は江戸時代から知られており、『能登志徴』に「飯川の穴倉」として紹介されています。昭和44年には、七尾市史編纂事業にかかる墳丘・石室の実測および周溝の確認調査が行われ、一辺約23m、高さ3.7m、墳丘が二段の方墳で、幅約6mの周溝があることがわかりました。また築造年代を示す7世紀前半の須恵器などが出土しています。石室は長さ約12m、幅約2m、高さ約2mで、30個以上の巨石を組み合わせて構築されています。天井石などの大きなものでは10t近くもある石を用いており、北陸地方で最大級の横穴式石室です。昭和47年に県指定史跡となり、保存と整備が行われています。

 

この古墳の築かれた時代には、七尾湾沿岸の海岸段丘上に小規模の古墳がたくさん造られますが、その中でも群を抜いた規模であり、中心的存在です。被葬者は、能登の国造(くにのみやつこ)であった能登臣(のとのおみ)氏の可能性が考えられています。

 

墳丘は2段になっていてピラミッドのよう。

 

踏み跡を辿って墳頂へ。 

 

2段のテラス部分。

 

石室入口側。

 

石室上部から。

 

その先の眺め。

 

その左側の眺め。左の先、6kmほどで七尾湾に達する。

 

さらに左を向くと石室入口の裏側、道を隔てて久志伊奈太伎比咩神社(くしいなだきひめじんじゃ)がある。

 

周濠がきちんと復元された辺もあった。

 

ここも見ごたえのある素晴らしい古墳だった。

 

古墳から徳田駅までは100mちょっとだったが駅には寄らず、次の目的地の能登島を目指した。

つづく。