墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

雨の宮2号墳(雨の宮古墳群)石川県鹿島郡中能登町

前回のつづき。

1号墳の前方後方形を堪能したのち、前方後円墳の2号墳の墳丘へ。 

前方部上から後円部。 

 

現地の説明板。墳丘の長さは65.5mで1号墳(64m)とほぼ同じ。

雨の宮2号墳
雨の宮2号墳は、前方部を南西に向ける前方後円墳です。墳丘の規模は、長さ65.5m、後円部の直径42m、前方部の幅28m、後円部の高さ7mを測り、墳頂部の高さで1号墳より約7m低い位置にあります。
1号墳と同様元々の地形を利用して作られていますが、崩れにくくするために、途中に段を作ったり(段築)、斜面に石を葺いたり(葺石)しています。前方部の前面では3段になっていますが、葺石は上2段だけに施されており、上2段が墳丘本体として意識されていたことが推定されます。

 

実測図部分の拡大 。右上が北。

 

グーグルアースで。左下が1号墳、右上が2号墳。 

 

2号墳の右側くびれ部。その先の尾根筋に5、6、7号墳がある。

 

2号墳の後円部墳頂。未だ発掘調査は行われていないが未盗掘の可能性が高いとのこと。

 

後円部墳頂から見た5、6、7号墳。案内板があるのに撮りそびれてしまった。

(このとき一匹の蜂が現れたのが気になって、ゆっくりできなかった)

 

墳頂には写真タイルの大きな眺望図があった。

 

少し木々の背が高くなってしまったが雄大な眺め。

 

左端は七尾湾の方向。能登国分寺跡の印も。他には高木森古墳、徳前古墳、二宮古墳。 

 

その右。向かいの山並みの最高点は石動山(いするぎやま・564m)

荒山城跡、勝山城跡など山城跡もある。

 

さらに右。小竹ガラボ山古墳、水白鍋山古墳。山の向こうは富山県になる。

 

さらに右には、小田中親王塚古墳、亀塚古墳の印がある。

中能登町には700以上の古墳が確認されているそうだ。 

 

小田中親王塚古墳の方向をズーム。 

 

目一杯にズーム。左右にJR七尾線が走っているはずだが目視できなかった。

 

逆サイドには森が広がっていたが、周囲では墳丘が最も高い位置にあるようだった。

 

後円部の先は崖のようになっていた。

 

後円部から北側へ降りる階段。

 

後円部から前方部を振り返って、墳丘右サイドのくびれ部。 

 

左サイドのくびれ部。前方後円墳なので、くびれ部のカーブがやわらかい。

 

後円部から前方部を見ると、その先に1号墳がある。

 

1号墳の方が高い位置にあるが、斜め下からの位置なので「前方後方」の特徴ある形がしっかり観察できた。

 

手前の屋根は天日陰比咩神社の拝殿。本殿は1号墳の前方部直下にある。

 

いただいたパンフによれば天日陰比咩神社は能登郡一円の総雨乞社(そうあまごいしゃ)で古くから「雨の宮」と呼ばれており、今でも1・2号墳とも神として祀られているとのこと。

天日陰比咩神社はもとは1号墳の後方部にありましたが、羽咋の沖を行く舟が神の怒りに触れたとされ、度々動かなくなったので、海から見えない前方部に移し、その後、復原工事の際、現在の位置に移しました。

この神社では、雨乞いの神事が行われ、その際、みたらしの池の水を献上し、また、雨乞いの時は黒馬を、雨を鎮めるときは白馬を献上したとも言われています。

1号墳の後方部にヤグラをたて、7日間、昼夜交代で太鼓を打ち続けたそうです。1回祈ると雨が降り、2回目は雲を起こし雨が降り、神が龍となって通っていくと言われています。

後にこの場所では神事相撲も行われていたため、土俵が作られていました。

雨乞いの神事は大正時代まで続いていたそうだ。 

雨の宮古墳群 - Wikipediaにもかつて後方部墳頂に土俵が設けられ奉納相撲が行われていたとの記載がある。

 

こちらは1号墳と2号墳との間にある36号墳。いつかすべてを巡ってみたい。

駆け足で見たにもかかわらず、この時点で予定時刻を30分オーバー。

駐車場へ駆け戻って次の古墳を目指した。

つづく。