墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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南青山~西麻布界隈

岡本太郎記念館へ行った際に歩いたその近辺。

記念館の北側にブルーシートで覆われた広い土地があった。 

 

グーグルアースではまだ2棟の官舎が建っている(写真の中央・5丁目の字の下)

 

奥の建物は地中海料理の”リゾート”レストラン。

シカダ (CICADA) - 表参道/地中海料理 [食べログ]

 

次は何が建つかと思えば、やはりマンションだった。

 

骨董通りに面するビルの裏側はモザイクがかかったようになっていた。

 

この「裏通り」にもおしゃれな店が並ぶが、福井県のアンテナショップ ふくい南青山291もある。店先のベンチには恐竜が。

 

こちらは永平寺別院の北側。北に向かって緩く下る坂。

 

住宅の間の高低差。

 

下りきったあたりのお宅。

 

こちらはビリケンさんでしょうか。

 

そのまま進むと墓地の端に突き当たった。

 

江戸末期に建てられた庚申塔があった。

 

真新しい説明板。

港区指定文化財 歴史資料 青山の庚申塔
本庚申塔は、高さ103cm、最大幅94cm、最大厚17cm、安山岩(根府川石)で作成されています。石塔の形態は板状の「自然石形」を呈し、下部の一部は地中に埋まっています。銘文は正面に「庚申塔」と刻まれており、その下に花押がありますが、揮毫した人物は未詳です。その右側には「慶應元乙丑年」、左側には「五月大祥吉日」とあり、慶応元年(1865)五月に造立されたものであることがわかります。さらにその右側には、一部剥離していますが、「右 あをやま 内とうしん[宿] ほりのう[ち]」、左側には「左二十きおくみ屋「敷ヵ] 百人おくみ屋[敷ヵ] ぜんこ[うじ]」と刻まれており、この庚申塔が「右 青山・内藤新宿・堀之内」、「左 二十騎組屋敷・百人組屋敷・善光寺」の方向を示す道標の役割も果たしていたと考えられます。
また、この地域では昭和初期まで庚申祭(庚申講)が行われていたと伝えられていますが、この庚申塔はそうした民間信仰が江戸時代に遡ることを示す貴重な資料です。
平成27年10月14日 港区教育委員会 

 

魅力的なY字路。一方通行が”右側通行仕様”になっている。

「東京時層地図」アプリで調べたら、左の道は戦前までは川だった。 

 

囲いの中は工事中。

 

こちらも三菱地所による7階建てのマンションだった。

 

囲い板が一部透明になっていて工事の様子が見られるようになっていた。奥の木立は青山墓地でその手前に外苑西通りがある。

 

外苑西通りに並行する小道を北上。青山陸橋をくぐると台地上への階段があった。

 

こちらは台地上に回りこんでいく車道。石垣がなかなか見事だった。

 この道を上がっていくと、一年前に歩いた直線路に出る。


台地上には上がらずに、外苑西通りに並行する谷間のような小道をさらに北上した。

左手が高くなっていて時折階段が現れる。

 

ぽっかりと残っている空地があった。

 

斜面がそのまま残っている。宅地の跡かも知れないが「本当の地形」が露出している貴重な場所ではないか。

谷間の小道は青山通りに突き当たるところで急に上って終わりとなった。