墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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乃木神社 東京都港区赤坂

栃木県の野木神社へ行ってから、乃木坂の乃木神社のことが気になっていた。 

野木神社 栃木県野木町野木 - 墳丘からの眺め

 

まだ参拝したことがなかったので、行ってみた。

地下鉄の乃木坂駅の1番出口から地上に。

 

 日枝神社のある山王下交差点から続いてきた赤坂通り。外苑東通りの下をくぐってトンネルに入り青山墓地へ、その先は根津美術館のある交差点で右へ曲って表参道へ向かう。

 

地上部、外苑東通りの奥に旧道がある。かつてはこのあたりからそこに向かって上る坂がついていて幽霊坂と呼ばれていたものが、乃木将軍の殉死後に赤坂区議会が乃木坂と改名した。

 

上記の位置の右手側、赤坂通りに面して乃木神社の鳥居がある。

乃木将軍が明治天皇大葬の日に殉死したのちの大正12年に乃木神社が創建された。

由緒│乃木神社│

 

境内は旧乃木邸の隣にある。旧乃木邸が台地の上、神社は下にある。

 

こちらは台地の上、外苑東通り沿いの旧乃木邸の馬小屋。

 

見事な煉瓦建物。

 

このときは残念ながら公開時間を過ぎていた。

 

9時~16時での公開。

 

門の上から、旧乃木邸。

 

煉瓦の馬小屋を南に回ると公園があった。

 

公園には案内板があった。

公園附近沿革案内
この公園附近は、江戸時代の初期、青山常陸介忠成が家康の命をうけ、馬を乗り廻して賜った土地で、力尽きて死んだ馬の塚を築き、駒留八幡といったという伝説がある。青山氏の敷地は現在の南北青山および赤坂7,8丁目を含む広大な地域であった。
江戸時代末期このあたりは美濃郡郡上藩青山大膳亮の邸地で、明治維新後この一帯は新坂町と呼ばれ、名士の邸宅街となった。
陸軍大将乃木希典は明治12年この地を買い求め、同35年新築をした。大将は大正元年9月明治天皇のあとを追い、夫人静子とともに自害して果てた。邸宅はその遺言により、東京市に寄付され、整備ののち公園として開園された。現在では、旧乃木邸を含めて区立公園として管理している。

 

馬小屋から仕切り壁が公園側に延びていた。

 

馬小屋の乃木邸側を柵の間から。

 

公園には煉瓦の遺構が残っていた。

 

新しいオブジェも。

 

台地下へ続く階段。降りていくと神社の入口に出る。

 

鳥居をくぐって参道へ。

 

祭神は乃木将軍夫妻。

 

途中に赤坂王子稲荷神社という末社があった。

 

その説明板。

 

次の鳥居には大きな茅の輪が付けられていた。

 

緑に囲まれた社殿に参拝。

 

正松神社という摂社もあった。

 

こちらにも参拝した。

 

乃木将軍が薫陶を受けた吉田松陰とその叔父の玉木文之進が祀られていた。

 

正松神社からは神社施設に向かう赤絨毯の廊下が伸びていた。

 

廊下は通らず、鳥居を出たところで柵が閉じられた。この日最後の参拝者だった。

 

境内を出て少し赤坂側に行くと乃木会館がある。

 

地下鉄・乃木坂駅に戻って帰った。乃木坂トンネルから地上へ出る歩道部分のつづら折り道。現代の乃木「坂」か。