墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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長念寺・本堂復原工事現場特別公開 川崎市多摩区登戸

前回のつづき。 

登戸駅からぶらぶら20分ほど歩いて目的地の長念寺に到着。

 

こちらの山門も、扉の木彫が見事だった。

 

本堂は足場で覆われている。

 

以下のお寺の概要は  多摩区観光協会のサイトより。

江戸時代の寺のおもかげをいまに伝える浄土真宗本願寺派に属する寺院で、16世紀初期の開山と伝えられる。本堂、庫裏、山門は江戸時代後期に建てられたもので、所蔵文化財の秀月禅尼画像、阿弥陀如来立像、鳥合わせ図屏風とともに川崎市の重要歴史記念物に指定されている。建物には動物などの彫刻が随所に施され、当時の木工技術の高さを楽しむことができる。静かな境内には大きなイチョウがそびえ、秋には黄金色に輝く。

 

初めに真新しいお座敷でご住職と教育委員会の方々から説明を受けた後、まずは修繕を終えた旧庫裡から見学した。

はいってすぐ、かつて土間があった部分の屋根裏は、茅葺だった時代を再現している。茅は新しいが竹材は古材を使っている。

 

修繕された屋根は茅葺のような膨らみを再現した銅板葺き。

 

一行は松材の床の部屋で工事に携った松井建設の方から解説を受けた。

 

庫裡といってもいくつもの部屋がある大きな建物。

長念寺平成大改修工事 旧庫裡保存修理工事 松井建設東京支店

寄棟造・茅葺の当庫裡は武家風の玄関を設ける高い格式の形式をもつ。また、10帖敷きの書院は客座敷としてまとまりを見せている。住職の居間を南側の台所隣に置き、中二階を隠居とするのもこの庫裡の特色である。
建立時代は資料を欠くが、秀善住職の時、庫裡を再建したと伝える。玄関寄付きの大黒柱の使用や、中二階の通し柱に合わせた軒の高い構成、及び雨戸を多用する点などに、江戸時代末期の特徴が認められ、本堂よりやや遅れて再建されたと推定される。
一部構成の改造を受けているが、全体的にみると当初の形式をよく保っており、大変貴重な建築物として、平成2年1月23日、市重要歴史記念物に指定された。(川崎市役所HPより抜粋)

 

修繕前は取り払われていた中二階部分も復原されていた。

 

違い棚の美しいお座敷。

 

部屋の外から見るだけで近寄ることはできなかったが、襖絵も見事だった。

 

床の間の脇には付け書院。

 

欄間の細工も美しかった。

 

お座敷の隣にはたたきのある玄関。上には籠が吊るされていた。

 

中二階へ上る階段は箪笥仕様。金具から手作り感が伝わってくる。

 

玄関脇の大黒柱。オリジナルの欅材で、何かで覆われていた部分は真新しい色をしていた。

 

中二階のある部分の下。掘りごたつを設けて圧迫感を軽減している。

 

上記を外から見たところ。もともとは吹きさらしの縁側だが、さすがに使い勝手が悪いのでガラス戸が入っている。後補部分がわかるようにあえて白木のまま(古色を出さない)としている。

 

こちらの写真の茅葺がかつての庫裡。奥が本堂になる。

 

旧庫裡見学の後は、ヘルメットを被って本堂の工事現場へ。

 

ポールの手前の部分まで入って説明を受けた。

 

260トンある建物全体を油圧ジャッキで2m持ち上げ、基礎を鉄筋コンクリートで打設した後に建物を降ろしている。お寺は多摩川に近い場所にあるが、それでも周囲とは比高差があるそうだ。

 

奥をズームすると柱や壁の装飾がちらりと見えた。

 

柱の彫刻も素晴らしい。

 

修理についての解説板。

長念寺平成大改修 本堂保存修理工事
建物概要
当本堂は1824年(文政7年)に上棟、1848年(弘化5年)に完成。正面柱間7間(背面は9間)、側面柱間7間の規模で、正面1間に唐破風を付けた向拝を出します。もともと急峻な勾配をもつ寄棟造の茅葺で、向拝に瓦を葺いていましたが、1959年(昭和34年)に現在の入母屋造・銅板瓦棒葺に改修されました。軸部や造作材に欅を多様し、内部の柱を建登せ丸柱とし、内外に組物と彫物装飾を用いて仏堂化を進めています。
側周りは角柱を用い、軸部に切目長押、内法長押(正面中央間は差鴨居)、飛貫、頭貫(獅子頭付)、台輪で固めています。向拝は組物は三斗組(拳鼻付)、中備に板蟇股を置き、軒は二軒疎垂木でした。1959年の改修の際に、三軒にしています。
内陣及び左右余間の正面は巻障子や彫刻欄間(現在修復の為搬出中)を金色に仕上げ、飛貫をすべて虹梁形に造り、格間の板に彩色画を描いています。
内陣と左右余間の装飾を凝らした意匠及び外陣の大虹梁架構による広々とした構成が見所であり、それらの構造や細部意匠は幕末期の特徴を示しています。

 

こちらは木製の鬼瓦。

 

屋根周りの銅板は下の部材のように使える部分は凹凸などを調整して再利用するそうだ。

 

こちらの鬼瓦は痛みが激しいので作り直すのだそう。

 

屋根組みは復原に加え、ダンパーなどで耐震性を高めている。

 

長念寺、川崎市教育委員会、松井建設のみなさま、貴重な機会を設けていただき誠にありがとうございました。

文化財を後世に伝えていくことは修復の努力が必要であることを実感しました。

完成の折にはまた参拝させていだきたいと思います。

 

松井建設は今年でなんと創業430年。

1586年(天正14年)初代松井角右衛門が加賀藩第二代藩主前田利長公の命を請け、越中守山城(富山県高岡市)の普請に従事したのが始まりとのことでした。沿革|松井建設株式会社