前回のつづきで、最終回。
ツアーの締め括りは、縄文時代にまで遡った。
橘樹神社から今度は台地を上へ上がっていった。 この畑の下あたりにも貝塚があったようだ。
斜面を横切る道を畑に沿って進む。ゆるやかだが左の標高が低く、右が高い。
住宅を廻りこんでいくと子母口公園に出た。
遊具もあって子供達で賑っていた。こちらは公園内で貝塚が発掘されたポイント。
約8000年前の縄文時代早期は、この丘近くまで海が入り込んでいた。
公園は台地の端にあった。最近地盤を補強するなどの再整備をしたそう。
下は子母口の交差点、遠くのビル群は武蔵小杉。
以下はいただいたパンフより。
子母口貝塚は、北西から南東へと伸びる丘陵先端部に位置しており、今から約8100年前の縄文時代早期後葉の貝塚です。この貝塚は、発見された土器が「子母口式土器」という名称で、この地域の一定の時期を表す標式として用いられており、日本考古学の中でも著名な遺跡の一つです。貝塚は丘陵先端部の東西約100m、南北約150mの範囲に4ヶ所の地点貝塚が発見されており、それらを総称したものが子母口貝塚といいます。貝塚から発見される貝類等は、浅い海の砂の中にいるマガキが約半数を占め、それ以外にヤマトシジミやハイガイが見られます。またスズキやクロダイ等の魚骨やイノシシ等の獣骨も発見されています。当時の丘陵上から眺めた景色は、眼下に砂浜が沖まで広がり、遥かかなたには遠浅の水面が光る。背後の丘陵には森が点在し、イノシシやウサギ等の小動物達が活動する…、そんな現在とは全く異なるものであったと想像されます。
斜面の下に素敵な庭のある平屋建てのお宅があった。
貝層の断面標本と「発掘調査のあゆみ」という詳細な解説板があった。
ここでツアーは解散。
公園脇の道は行き止まりになっていた。
希望者のみ、近くの地元野菜が買えるお店に連れて行って下さるとのことで、ついていった。 野趣あふれる斜面の道を降りていく。
途中の道端には貝のかけらが沢山落ちていた。貝塚の斜面から土と一緒に落ちてきているものだそう。
台地下に下りるとバス通り。子母口の交差点。
公園のあたりを見上げる。
一行は、森正養鶏場さんの直営店へ。地元野菜や新鮮な卵を購入することができた。
川崎市教育委員会の関係者のみなさま、素晴らしいツアーを企画、実施していただき誠にありがとうございました。古代の橘樹郡衙を想像し、端正な仏像に出会え、弟橘媛の伝説が残る古墳や神社を味わうことができました。
これまでほとんど縁がなかった川崎の地に親しみを覚えるようになりました。