墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

白山古墳跡 加瀬台古墳群(再訪) 

前回の、ツアーのつづき。

矢上川の河畔で観音松古墳の説明を聞いたあと、矢上橋の通りを東側へ移動、北加瀬の交差点で県道14号を渡った。

交差点の角にあった矢上湯。

 

渡った先の道も商店が並んでいた。右に曲った角には魅力的なやきとりの店。

 

そのまま住宅街を進むと白山幼稚園があり、その向かいの公園を訪ねた。

 

北加瀬熊野台公園。入口はこの幅だが奥が広くなっている。

 

左の立派な石碑は、白山古墳跡のふもとから国宝・秋草文壺が出土したことを記念している。

 

入口右脇に「白山古墳跡」の説明板があった。

古墳跡は前回訪ねたときの場所でほぼあっていて、実際はここから100mほど南西になる。そのときは説明板を見つけられなかったが思いもよらないところにあった。

これを見ただけでは公園が古墳跡のように誤解してしまうだろうが…

この近くに市内最大の前方後円墳の白山古墳があった。昭和12年の発掘調査で三角縁神獣鏡など貴重な副葬品が出土した。戦前川崎に進出した工場用地の盛土用として削られ、ほぼ消滅した。

 

公園名を表示する看板の裏にも解説が書かれていた。

加瀬山は、鶴見(矢上)川と多摩川の沃野に浮かぶ独立丘陵である。山裾にあった前方後円墳は、県下最大規模の古墳であり、その後山腹の随所に円墳や横穴墓が築かれ、また、国宝となった秋草文壺の蔵骨器や、来世往生を願う経塚や社寺が造営され、一山は地域の人々に「聖なる山」として畏敬された。
北加瀬熊野神社は社伝によれば、1582年戦国大名北条氏直により、この聖地に創建された。
紀州半島(和歌山県)に鎮座の熊野三山は、御師や比丘尼など布教師の活躍で、東国各地に分霊が勧請され、神の死と復活のドラマは大衆に歓迎された。
加瀬山が熊野台と称されるのは、当社に由来するのである。

 

公園内で加瀬台古墳群についての解説を受けた後、その加瀬山(加瀬台・熊野台・夢見ヶ崎)へ向かった。

 

北側にスロープがついている(ことを今回知った)

 

スロープの右側(西側)急斜面でその先は平らな土地になっているが、かつては加瀬山がもう少し続いていたようだ。白山古墳跡の説明板にもあったが工場用地の盛土のために削られてしまったとのこと。

 

途中で振り返って。

 

台地上の公園からの眺め。

左端の木立が白山古墳跡(前方部が一部残存)で、右端に見える矢上小学校が観音松古墳跡。

90mに近い前方後円墳が並んでいる姿を想像できる大変貴重な場所。そしてこの場所にも複数の古墳が築かれた。

 

前回は気づかなかった説明板。

 

富士山や丹沢・奥多摩の山も望めるようだ(改修の際は古墳跡の位置表示もぜひに)

 

観音松古墳跡のアップ。

 

白山古墳跡のアップ。

残っている部分も削平される可能性が高いというコメントもあった。

 

公園内の説明板のアップ(全体はこちら

公園はこの東側なので残った木立の左手前に後円部が続き、木立の奥に第六天古墳が見えたはず。

 

第六天古墳(こちらも消滅)には横穴式石室があった。白山古墳より時代が下るので陪塚ではないとのこと。

 

一行は加瀬台の7号墳、6号墳、4号墳、9号墳を眺め、3号墳の石室も柵越しに見学した。

3号墳を見学して、ツアーは終了。

わかりやすく詳しい解説があり、コース取りもよく練られていてとても充実したツアーでした。ツアーを企画・実施していただいたみなさんに御礼申し上げます。

 

この日の公園は大変賑っていました。

 

華やかな孔雀の前には人だかり。

 

大きなゾウガメも外に出ていました。