墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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新井家ふるさと記念館(旧新井製糸場) 栃木県野木町野渡

前回のつづき。

野木町ホフマン館での展示にあった「栃木県に現存する赤煉瓦建造物位置図」を見ていたら歩いていける場所に「新井家ふるさと記念館」があった。

地図のコピーもいただいたおかげで迷わずに到着。

 

3棟の国登録文化財の建物のある私設博物館。養蚕に関する展示が充実していたが、個人で施設を整備されている。

入館無料だが公開日は不定期、土日は開いていることが多いようだった。人の姿がなかったが「ようこそ」とあったので煉瓦倉のほうへ進んだ。

 

少し表面に凸凹したところがあるがどっしりとした建物。

 

インターホンのボタンを押したが返事が帰ってこなかった。やむなく倉の写真だけ撮らせていただいて帰ろうと思って横へ回ったら、ちょうど”ご当主”が2人の見学者に説明をされているところに出会った。

自分も加えていただいで説明を受けた。公開の日はご当主が、木造事務所家屋、漆喰蔵、煉瓦倉の順にぐるぐる回って説明されているようだ。

 

北側の壁面。

 

倉の横には、かつて馬で煉瓦を運搬した荷車が置かれていた。

 

裏側(西側)は一面が壁になっていた。

 

外壁の積み方は頑丈だといわれるイギリス積み。

 

南側の壁面。

 

2階部分の窓には北側には無かった庇やアーチがあり、1階部分は北側のようにアーチ状の積み方をしていなかった。

 

3重につくりこまれた軒下。

 

中へ入っての見学もできた。2階が養蚕関連の展示場になっていて、蚕の育て方、生糸のつくり方がよくわかる。3年前に富岡製糸場へも行ったが、こちらで受けた説明はとても具体的で理解が進んだ。

建物内側の煉瓦壁はなかなかワイルドな感じ。

 

というのも、この倉は旧下野煉瓦のホフマン輪窯で出た”屑”煉瓦を使って、煉瓦を積む職人を養成を兼ねて建てたのだそう。輪窯は内側と外側で焼成度の違いが発生するので、色むらなどが出やすかったとのこと。

柱となる部分に積んだ煉瓦が梁とずれている場所があったりもするが、築造は明治35年(1902)で114年の時を経ても現役で使われている。

 

製糸場の事務所として使われた日本家屋は明治26年(1893)の築造。

お座敷から見た庭。

 

新井家が古河の城主・土井侯からいただいた杉の大木1本から造られているとのこと。

見事な欄間もその杉材から作られている。

 

床の間脇の障子の棧の細工も見事。

 

事務所の隣には明治27年(1894)築造の漆喰蔵。土台部分は煉瓦製だが、明治24年(1891)の濃尾地震で煉瓦建物の倒壊が多かったことによる在庫増を活用されたとのことだった。

 

漆喰蔵の頑丈な扉。ここは外からの見学のみだった。

 

漆喰蔵と煉瓦倉の間にあった説明板。

 説明時間は40分ほど。煉瓦の歴史だけでなく、養蚕の歴史、そして新井家の歴史を伺いながら、明治期に今の日本の基礎を築いた人々と”交感”できたような気がした。

 

周囲の畑は起こしたばかりの土で覆われていた。

 

休耕地では伸び盛りの緑の中に白や青の花があった。

つづく。