前回のつづき。
野木町ホフマン館にて新井家ふるさと記念館のことを知り、10分の道のりを歩く途中。
熊野神社の境内沿いに見事な煉瓦壁があった。
右が境内。左は光明寺の墓地。
窯で焼いた煉瓦を馬車で古河駅へ運ぶ道、通称レンガ道にあたる。
下はホフマン館に展示されていた地図で、左上の黄色がホフマン窯。そのすぐ下、熊野神社と光明寺との間の直線部分。
切通しで傾斜をゆるくしているが、削った面を煉瓦で土留めしている。
光明寺側は石で補強されていたが、それはそれで趣があった。
途中まで行って振り返ったところ。奥を右手に行くとホフマン窯。
途中煉瓦壁の上にあった石碑。大正13年(1924)3月にこの煉瓦壁の工事を行った氏子の方々の名前が刻まれている。
1世紀近くを経てもなお、役に立っている。木の根が張って波打っているところにも惹かれた。
南側にまわって熊野神社の参道正面。
鳥居の近くからのレンガ道。南側に行くに従い高低差がなくなる。
熊野神社の参道。
参道脇の摂社(?) 隣の建物は朽ちかかっていた。
正面屋根に破風があり厳かな拝殿にて参拝した。
拝殿から振り返ったところ。
こちらが本殿。
二宮さんもおられた。
大谷石の立派な神輿蔵(?)
栃木県らしさを感じる境内だった。
つづく。