前回のつづき。
次に向ったのは北小金駅周辺の古墳。
小金1号墳は北小金駅から300mほど南西、住宅街の中にある駐車場の奥にあった。
すぐ北側は常磐線の切り通し。
墳丘へは入れなかった。
昇寛さんのサイト松戸市小金1号墳 » 埼群古墳館によれば、小金1号墳(愛宕塚) は直径23m、高さ3.5m の円墳(松戸市史)
周辺にはかつて他にも数基の古墳があって小金古墳群を形成していたそうだ。
また、鉄道切通し工事の際には墳丘下部から形象埴輪・円筒埴輪が出土とのこと。
グーグルアースで。中央の茂みが小金1号墳。
常磐線の北側に続く台地上を北西に700mほど行くと、戦国時代の山城跡が残る大谷口歴史公園がある。
その延長線上、坂川を越えて北小金から2km北西には消滅に瀕している鰭ヶ崎三本松古墳がある。
鰭ヶ崎三本松古墳・再訪 千葉県流山市鰭ヶ崎 - 墳丘からの眺め
北小金駅は日蓮宗の本土寺の最寄り駅。
2年前の6月に参拝したがアジサイが大変見事だった。
このときには小金1号墳を全く認識していなかったが…
古墳の前の駐車場と道路を隔てた向かいには新築の家が並んでいた。
道路から南側への枝道は下っていた。
道路を西に進んで行っても、神社がある場所で下りになった。
そこには八坂神社。
斜面を造成して建てられている。
本殿の裏には常磐線が見えた。
突き当たりの台地の端、団地の駐車場から。
北小金駅南口から南へ延びる道は旧水戸街道。
かつての宿場町の雰囲気を残す建物が残っていた。
小金宿の旅籠、玉屋さん。
標柱の説明
玉屋(小金宿の旅籠)
この小金の地は、江戸時代より水戸街道の宿場町として栄えていました。この建物は屋号を玉屋という旅籠で当時の宿場町の名残を伝えています。
”ロータリークラブ”による解説板。
鈴木家
此処の街道は水戸街道で有名であるが、成田街道でもあり旅籠が多く鈴木家は代々惣右衛門を名乗り、玉家の屋号で徳川時代後期の旅籠の原形を留めている。
当時の小金では鈴木、月見里、綿貫、湯浅、芦田、安蒜、大熊、が役職に従事していたが、未だに姓は現存している。
松戸北ロータリークラブ
歩道の上に深い軒がかかっていて、趣があった。
ちなみに小金宿 - Wikipediaによれば、宿場の規模は百軒余りの家並みで大きくはなかったが、幕府の軍馬牧場である小金牧のそばだったので重要性は高かったそうだ。
つづく。