墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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御嶽神社古墳 群馬県太田市高林東町

前回のつづき。

朝子塚古墳から東国文化歴史街道を東に1.7km、高林の交差点の北西側にある御嶽神社(おんたけじんじゃ)古墳。

全長59.4mの前方後円墳とのことだが現状は円墳のようだった。昇寛さんのサイト(文末)によればもとは100m級の規模で6世紀後半の築造と推定されているそうだ。

 

古墳の上に神社が建つケース。

 

しかし墳丘が狭いせいか、社殿は斜面の柱の上に建っていた。

 

墳丘から東側の眺め。

かつてはこの道路の対岸にあたる場所にも全長105mの前方後円墳・割地山(わりちやま)古墳があったようだ。

http://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/kankoubutu/files/otashinokofun.pamph.pdf

以下は上記の「太田市の古墳」にあった割地山古墳の説明文。

高林台地上に立地している東矢島古墳群の中にある古墳です。御嶽神社古墳、観音山古墳、割地山古墳などのほか、直径30~40mの円墳が数多く点在していることが、土地区画整理事業にともなう調査で明らかとなっています。

とくに割地山古墳は、すでに墳丘は削られてしまいましたが、全長105mほどの前方後円墳であったといわれています。平成9年度の調査により、石室の残骸が確認され、矢の先である「鉄鏃」のほか、「挂甲」と呼ばれる鎧の部品である「小札」や、馬に付ける装身具である「馬具」が出土しました。

 

御嶽神社古墳の墳丘から南側。 ここから東に400mほどに石田川の支流があり、そこから2km下流で利根川と合流する。

 

墳丘の北側はちょっとした児童公園になっている。 

 

北側から見た墳丘。

 

”空中社殿”とつつじ。

 

こちらの古墳も昇寛さんのサイト太田市御嶽神社古墳 » 埼群古墳館のマップによりたどり着いた。

他にも見ごたえのある古墳が集中しているエリアだが、時間の都合(妻も一緒だったので佐野のアウトレットへ立ち寄る必要があった)で通り道にあったこの古墳を選び、他は別の機会とした。