墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

国史跡・小見真観寺古墳 埼玉県行田市

少し前に深谷の煉瓦工場跡へ行った際、周辺の古墳へも立ち寄っていた。

 

初めに訪れたのが国史跡の小見真観寺(おみしんかんじ)古墳

東北自動車道を加須ICで降りて国道125号・行田バイパスを西へ向うと、秩父鉄道を越えてすぐのあたりにある。武州荒木駅から1kmほどの場所。

 

本堂の右手奥に石碑と説明板があった。

 

説明板によると、7世紀前半に造られた全長112mの前方後円墳

国指定史跡 小見真観寺古墳

昭和6年3月30日指定

この古墳は、小見古墳群に属する前方後円墳で、星川の右岸の低台地上に立地している。

現存の墳丘の大きさは、全長112mである。埋葬施設は後円部と鞍部付近に緑泥片岩の一枚石を組み合わせた2ヶ所の横穴式石室がある。後円部の石室は寛永11年(1643)に発見され、前・後室よりなっている。

鞍部の石室は、後室のみが現存するが、前室については明らかではない。この石室は明治13年に発掘調査され、衝角付冑、挂甲小札、鉄鏃、金環、頭稚太刀、圭頭太刀、刀子、蓋付有脚胴鋺等の副葬品が出土している。出土品は、東京国立博物館に収蔵・展示されている。

これらの副葬品から、この古墳は7世紀前半に築造されたと考えられるが、鞍部石室はやや遅れて造られた可能性がある。

前方後円墳としては最も新しいものであり、埼玉古墳群に後続する首長墓として重要である。

平成2年3月 埼玉県教育委員会 行田市教育委員会

 

全長は、こちらの行田市のサイトでは102mとなっている。 

行田市教育委員会/小見真観寺古墳

 

 まずは説明板の右手から墳丘に上がらせていただいた。 するといきなり石室の天井板と思われる石が現れた。

 

小道に沿って回り込んでいくと小さな入口があった。

 

施錠されていたので、カメラを内側に入れて撮影。

昇寛さんのサイト行田市小見真観寺古墳 » 埼群古墳館によれば、こちらの石室は全長2.8m、幅1.7m、高さ1.1m。施錠されていなくても入るのはためらわれる大きさ。

 

墳丘上は木が繁っているがところどころ回りが見えた。

 

前方部の端の中央。

 

その位置から後円部方向。

 

説明板の場所に戻って後円部裾側へ歩いていくと、扉の開いた石室があった。 

 

胸の高鳴りを抑えつつ、近づく。

 

もとは一枚岩の下部に四角く出入り口の穴が開いていたようだが、左上が崩落していた。 

 

左側の割れた部分。結構厚みがある。

 

動物等がいないのを確かめつつ中へ。内側から入口方向。

前出の行田市のサイトには、後円部石室の大きさの記述もあり、「前室は奥行2.7m、幅2.2m、高さ2.1m、玄室は2.4m、幅2.2m、高さ2.1mで両室の間仕切りは、緑泥片岩の一枚石に四角い窓を開けています」とあった。 

 

天井も一枚岩。奥壁も左右の壁も一枚岩。

 

ぴしっと合わさった隅。1300年前の技術。

 

 外へ出て、後円部の裾を確認。

 

 こちらは前方部。

 

その間に観音堂がある。正徳2年(1712)の建立。

 

拝所には絵馬などが奉納されていた。毎年1/18と8/8に縁日があるそうだ。

 

見事な天井絵があった。

 

中の厨子は閉まっていたが、柔和な顔立ち・整った髪型の観音様の写真が飾られていた。

お寺のサイトによれば、厨子に安置されている聖観音立像で12年に一度ご開帳がある秘仏。平安末期の12世紀中葉の造立と考えられ、像高103cmの檜の木造で漆箔もかなり残り、台座も含めて造立当初の姿をよく残しているという。

午年の公開とのことなので、忘れずに十年後(2026年)に訪ねたい。

 

観音堂から見た仁王門。

 

元文4年(1739)の建立とのこと。

 

参道脇のクスノキの大木の横に、石室石材と思われる一枚岩が置かれていた。