墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

国立博物館附属 自然教育園(国史跡・旧白金御料地) 東京都港区白金台

4/12のお昼、とても天気がよかったので以前から気になっていた国立科学博物館附属自然教育園へ行ってみた。

目黒通り沿い、東京都庭園美術館の東隣に入口があり、目黒駅から徒歩9分・白金台駅から同7分。

 

入口にある説明板。面積は20haで上野公園(14ha)の1.5倍近くになる。

沿革は公式サイトに遥か昔の部分から説明されていた。

附属自然教育園について ≫ 沿革 :: 附属自然教育園 Institute for Nature Study

自然教育園を含む白金台地は、洪積世(20~50万年前)海食によって作られました。

いつ頃から人が住み着いたかは不明ですが、園内から縄文中期(紀元前約2500年)の土器や貝塚が発見されていることから、この時代には人々が住んでいたと考えられます。

平安時代には目黒川、渋谷川の低湿地では水田が開墾され、台地の広々とした原野には染料として欠かせなかったムラサキの栽培も広範囲に行われていたと考えられています。室町時代に入ると、この地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられています。この館の主が誰かは不明ですが、白金の地名は永禄2年(1559)の記録に初めてあらわれ、太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています。

江戸時代になると、増上寺の管理下に入りましたが、寛文4年(1664)には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となり、園内にある物語の松やおろちの松などの老木は、当時の庭園の名残であろうと思われます。

明治時代には火薬庫となり、海軍省陸軍省の管理となり、大正6年(1917)宮内省帝室林野局の所管となり、白金御料地と呼ばれました。

その後、昭和24年文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、国立自然教育園として広く一般に公開され、昭和37年国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っています。

 

入場料は一般310円。65歳以上や高校生以下は無料。

はいってすぐに園内の動植物について学べる資料館とミュージアムショップがある。

そこを抜けて進むとまず鮮やかなヤマブキがあった。

 

いちりんそうの群落も。

 

いきなり土塁も現れた。 

 

もみじは緑の若葉もきれいであると気づかせてもらった。

 

葉を透過した光で、道も緑になっていた。

 

これは秋にまた来ないと…

 

ヤマブキと葉桜。

 

緑になり始めた湿原。

カラスが異常に多かった。百羽ぐらいは、いるのではないか。

 

「森の小道」を行く。

 

「小川と湿地」というビューポイントから。

 

そろそろツツジの季節(とうごくみつばつつじ)

 

水生植物園エリアの「みつがしわ」の群落。

 

いろいろな緑色があった。

 

カラスだけではなかった。

 

来年はここの桜も見てみたい。

 

ここが山手線の内側とは思えない。

 

 これはタラノキでしょうか。

 

奥のエリアにもモミジの青葉。 

 

結構な高低差がある。

 

登って行くと「館跡」があった。土塁の切り通しを振り返ったところ。

 

館跡の説明板。

館跡(やかたあと)

自然教育園は、室町時代には「白金長者」の屋敷があった所と伝えられており、史跡に指定されています。

園内には、周囲を囲むように土塁が残っており、当時の屋敷の面影をとどめています。

ここの前方・左右には、逆U字型の土塁がみられますが、この土塁は周囲を囲む土塁とは趣が異なり、この附近に白金長者の住んだ館があったものと思われます。

左の場所は、土塁を切り開いて道がつくられました。ここでは土塁の断面を見ることができます。

 

土塁は奥で右にカーブしている。

 

ムクノキの巨木。

 

昭和24年(1949年)に全域が「旧白金御料地」として天然記念物および史跡に指定さた。

大正10年(1921)に御料地の一部が朝香宮の邸地となり、現在は東京都庭園美術館となっている。