前回のつづき。
この日(4/10)最後に訪れた場所。こちらの古墳も公共交通機関では難しい場所にある。”最寄り駅”は東武日光線幸手駅だがグーググマップでは片道13.3km・徒歩2時間43分と出た。
八龍神塚古墳は畑地の中にあった。
残っている墳丘の高さは1.8mくらいか。
詳しい解説板があった。明治期に豪華な副葬品が出土している。
境町指定文化財(史跡) 八龍神塚古墳
指定 昭和50年3月7日
所在地 境町大字金岡257番地外二筆
管理者 大字金岡区長
この古墳は、内部構造が横穴式石室・羨道よりなる円墳で、砂岩質の切石を積み上げた石室が両袖式胴張り型の構造を示しており、古墳時代後期の築造と考えられる。かつて、直径約25m、高さ約4mを数えた墳丘は、利根川堤の改修のため削られたと伝えられる。
明治42年(1909年)4月24日、山林を開墾中に発見され、直刀・刀装具・銅釧・金環等の石室内からの遺物は、当時の猿島村長・鈴木音四郎、金岡区長・稲垣伝一郎、発掘者・稲垣直七らによって帝室博物館(現東京国立博物館)に寄贈されている。さらに同年9月8日、本墳傍らから出土した別の石棺より馬具・鉄鏃などが発見され、同じく帝室博物館に寄贈された。平成20年5月 境町教育委員会
堺町民俗資料館にあった同古墳の展示。高さが4mあった時期(?)の写真が掲示されていた。
オリジナルの羨道は失われ、見学用のアプローチが造られている。
アプローチに従って進むと小さな入口があった。
入口の高さは80cmほどか。
まずはカメラを入れて中を確認。
入口のくもの巣を払って中に入ってみた。前は奥壁。
天井に向ってゆるくすぼまっていく”持ち送り”で積まれた胴張り型の構造がきれいに残っている。
側面の石積みもパズルのように見事に組み合わさっていた。
外見とはちがって中で立っても頭上に余裕ができた。
昇寛さんのサイト 境町八龍神塚古墳 » 埼群古墳館では、石室内全景を収めた見事な写真がある。昇寛さんによる「関東甲信百名穴」のひとつ。
同サイトによれば奥壁の高さ2.7mにもなる。奥行きは2.63m、幅1.72~2.53m、天井端部の幅は45cmとのこと。
自分は部分を撮るので精一杯だった。しゃがんで撮った入口側、右の玄門と側壁。
外に出るには地面に手をつかないと難しい。手をついたすぐ脇に大きなミミズがいて非常に驚いた。
あらためて外から見ると、見事な石室が中に入っていることが不思議に感じられる。
墳丘を横から。
墳丘に上がらせていただいた。西方向、利根川堤防までは300mくらい。
きれいに整えられた畑。何が植わるのだろう。
帰り道、県道17号で利根川を渡った。
橋の途中で車列が停まったので欄干越しに関宿城(千葉県立関宿城博物館)が撮れた。
3年前に来たっきりで、この日はもともとここを目的地にしていたが、最後にしていたら時間切れになった。
まだブログが備忘録だったときで、個人的に懐かしい。