前回のつづき。
堺町の毘沙門塚古墳から八龍神塚古墳へ行く途中に地元の歴史民俗資料館があったので立ち寄った。
昇寛さんのサイトの地図茨城県西地域 » 埼群古墳館は郷土資料館の記載もあってとても親切。
こちらが公式サイト境町歴史民俗資料館 | 茨城県博物館協会
車だと首都圏中央連絡自動車道の東端の境古河ICからすぐだが、公共交通機関だとJR古河駅または東武動物公園駅からバスで40分になる。
入館無料。スリッパに履き替えて見学する。
最初は電気が消えていたが、自分ひとりのために点灯していただいた。
思っていたより広い室内。2階もあってかなりの資料の数だった。
迫力の甲冑は、菅谷家伝来の「萌黄糸威伊予札二枚胴具足」
縄文時代に石器を触れるコーナー。握るに収まりのよい石器もあり、数千年前の人と手触りのシンクロが出来た。
パネル展示も充実。茨城・栃木・埼玉の県境付近のこんな内陸でも縄文海進時は海辺だった。
台地の縁だったので古墳群も造られた。
古墳を築いた土木技術が、都を造る技術や城を築く技術として磨かれて、川を開削することもできるようになったにちがいない。それとも昔からできていた?
なんと、精巧な馬形埴輪の現物も。
高さ80cmと大きいもの。
出土場所は竹林とあるが、解説板の住所をグーグルマップで見ると、昇寛さんのサイト地図の境町ふき山古墳 の記述にある「ふき山東古墳」出土と思われる。
かけらから復原したものだがオリジナルの部分が多くのこっているように見える。
鞍からしっぼの方にかけて。
それぞれの飾りに名称がある。
頭の上はたてがみを束ねたもののようだ。この馬のものはかなり立派だが。
これから向おうとしていた八龍神塚古墳の解説もあった。
細かい測量図も。
付近の古墳から出土した円筒埴輪や壺
高坏や直刀も。
こちらはこの地域なれではの、手書きの平将門要図。
板碑も。
権現堂堤のところで紹介させていただいた利根川東遷に関する資料もあった。
豊富に展示されているのは民俗資料。こちらは消防関連。
2階の展示には圧倒された。
量り関連。
古いラジオやテレビ。
帽子や下駄。
もちろん農具も豊富。田下駄や田ならし下駄。
ポンプの役目を果たした「踏み車」
千歯こき。
機織機も。
藁から縄をなう器具は初めて見た。
荷馬車。
火鉢や鉄瓶。
昨年夏に行ってその膨大な展示量に驚いた佐渡国小木民俗資料館ほどではなかったが、それでも迷宮に嵌ったようなインパクトでとても楽しめた。