前回のつづき。
実際は「つづき」ではなく権現堂堤の前に行った。現在の江戸川から西に800m位、春日部古河バイパスから東に1km程の下総台地の北西端にあたる場所。
民家に囲まれるようにひっそりあった。
ちなみに埼玉にも葛飾という地名が残っていることを初めて知った。
日曜の午後に時間が空いたので、関宿城博物館へ行ってみようと思い立ち、いつもお世話になっている埼群古墳館さんのサイトで周辺古墳を調べたところ「お勧め」の印がついていたので。
上記サイトでは木々が繁っているが、現状は刈られて墳丘がよく見えるようになっていた。
説明板も。
町指定史跡 目沼浅間塚古墳
この古墳は、高さ5m、全長46mを超える目沼古墳群最大の前方後円墳である。昭和3年、墳丘の一部が調査され二重の環状に配置された埴輪列が発見された。この埴輪は、「円筒埴輪」と呼ばれるもので、器高約40cmで中央部には、ハート型をした穿孔という穴があいている。
平成3年の調査では、前方部と後円部をつなぐ括れ部から、埴輪を転用した「円筒埴輪棺」という当地方では珍しい棺が発見されている。
古墳の中心部である石室は発見されておらず、被葬者等についても明らかではない。
この目沼古墳群は、古墳の形態や副葬品などから6世紀初頭から7世紀末ごろまで築造されたものと推定できる。
杉戸町教育委員会
(おそらく)後円部側から。
5mほどの高さが残っていて眺めは期待できそうだったが立入禁止だった。
お隣の、かつては住宅地だったと思われる敷地から。墳頂の凹みが気になる。
頼りなさそうなフェンスではあるがしっかりガードされていた。
全長46m、高さ5mは関東では中型の部類に入るのではないか。
目沼古墳群 - Wikipediaによれば、かつては前方後円墳3基を含む70基余の古墳群で地元では「九十九塚」と呼ばれていたが、現在所在が確認されるのは20基で、そのうち墳丘の残る古墳はこの浅間塚古墳(10号墳)、目沼3号墳、17号墳の3基のみだそう。
昨年の夏に訪れた内牧塚内古墳群がここから9km南西にある。
古墳から権現堂堤へ向う道沿いの橋できれいな風景があって思わず近くに車を停めた。
下流側。
上流側。橋の欄干には「てんしんはし」とあった。
川だけみたら古墳時代と変わらないのではないか。
つづく。