前回のつづき。
この日の第二の目的地、明治期の煉瓦建物を見に行った。横須賀市街から車で15分ほど、観音崎灯台・横須賀美術館のすぐ手前になる。
近づくと沿道の人が多くなり、着いたら桜が理由と分かった。
駐車場から山側。
道路から海に向かっての斜面に桜が植えられていた。
2列で、斜面に植えられているので目の前に花がくる。
桜と海とが同時に望める。
水源についての説明板があった。
走水(はしりみず)には上下水道局が管理する水源が4箇所あり、これらの水源を総称して、走水水源地と呼んでいます。各水源からは、合計日量約2,000㎥が湧き出ています。
水源や施設の多くは、明治時代に海軍によって開発された軍港水道でした。本市は明治41年(1908)覚栄寺裏山水源に貯水池を造り、市営水道として給水を開始しました。昭和29年(1954)、すべての水源は、旧軍港都市転換法(軍転法)に基づき本市に移管されました。
水源の大部分を遠く相模川や酒匂川に頼っている本市にとって、走水水源地は、市内唯一の貴重な水源です。
また関東大震災でも湧水が枯れることなく湧き続けた走水水源地は、災害時等の緊急時の応急給水拠点としての機能を備えています。
道路を隔てた反対側に現役の遺構がある。
アーチや丸窓は新しい煉瓦で塞がれていた。
対岸に歩道がないので近寄れなかった。
対面する場所に説明板があった。
国登録有形文化財 横須賀市水道局走水水源地煉瓦造貯蔵池
平成12年2月15日登録
明治35年(1902)に横須賀軍港水道走水水源地の第一期拡張工事で建設された上屋付き煉瓦造貯水池です。内部空間を構成する扁平ヴォールトが、入口・丸窓を左右対称に配した壁面で覆われ、上屋は盛土されています。横須賀鎮守府経理部建築科の海軍技師井川喜久蔵、堀池好之助らの担当で建築されました。道路を挟んだ山側にある建物です。
横須賀市水道局走水水源地 鉄筋コンクリート造貯水池
平成12年2月15日登録
明治41年(1908)に走水水源地の第二期拡張工事で建設された上屋付き浄水池です。内部は鉄筋コンクリート造の五連馬蹄形ヴォールトで構成され、外壁には石で縁どりされた丸窓を一列に配しています。設計は海軍技師の伊藤誠吉とされています。日本最初期の鉄筋コンクリート建築物のひとつです。水源地構内の海側に所在します。
平成13年3月 横須賀市水道局 横須賀市教育委員会
覆いかぶさるように桜があった。
市と水道局のサイトにも同様の説明がある。
西側に歩いていくと、走水水源地管理センターの敷地も公開されていた。
敷地にはかなりの数の桜。
密度の高い桜のドーム。それでも七分咲きぐらいだった(3/31)
ここは斜面に座って、桜と芝生と海とが見渡せる場所だった。
桜の天井。
横須賀水道発祥の地の碑。
年代物の水道栓があった。
こちらは説明板にあった明治41年築のコンクリート造の貯水池。
海に近い場所に造られている。
その隣に水汲み場があった。
給水百年を記念して設けられた「ヴェルニーの水」だった。
横須賀水道発祥の水 ~ヴェルニーの水
由来
この水は、走水の湧水を利用した水道水です。フランス人フランソワ・レオンス・ヴェルニーが、明治9年(1876)横須賀造船所の用水として送水しました。
また、明治41年(1908)12月、市営水道として、小川町、大滝町、若松町の人々に給水されました。
給水開始100周年を記念して、ご利用いただけるようになりました。
平成20年(2008)3月 横須賀市上下水道局
思わぬ場所で桜を堪能できた。
つづく。