墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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ヴェルニー公園 神奈川県横須賀市本町

前回のつづき。

軍港クルーズを満喫したあと、船から見えたヴェルニー公園を歩いた。

 

公園の南側入口には七分咲きほどの桜並木があった(2016/3/31時点)

 

公式サイト ヴェルニー公園についてによれば平成13年度に横須賀市が整備した公園で花壇や噴水のあるフランス式庭園。バラ園もある。

 

太い枝が四方に広がっていた。

 

公園内には海軍関係の碑が並び立つ。 

 

ここではヴェルニーと小栗上野介の銅像が海に向かって肩を並べる。

開明広場というそうだ。

 

こちらがフランス人のヴェルニーさん。

以下は説明板より。 

フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837~1908)

フランス人の造船技師で、海軍増強をめざした徳川幕府の要請により横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として1865年来日した。明治維新後も引き続きその建設と運営の任にあたり、観音崎灯台や走水の水道の建設、レンガの製造のほか、製鉄所内に技術学校を設けて日本人技術者の要請に努めるなど、造船以外の分野でも広く活躍し、1876年帰国した。

 

非常に興味深い人物。公園の北端にヴェルニー記念館があったので(この時は気がつかなかった)、次の機会に訪ねたい。

記念館には横須賀製鉄所で使っていたスチームハンマ(重文)があり、実際に蒸気で稼働する10分の1サイズの模型(実演は日・祝)もあるそうだ。

 

こちらは江戸末期の幕臣、小栗上野介忠順。

以下説明板から。

小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ:1827~1868)

日本初の遣米使節をつとめ、外国奉行や勘定奉行など

徳川幕府末期の要職を歴任し、フランスの支援のもと横須賀製鉄所(造船所)建設を推進した。軍政の改革、フランス語学校の設立など日本の近代化に大きく貢献したが、大政奉還後に徹底抗戦を主張したため役職を解かれ、領地の上野国権田村(群馬県倉渕村)で官軍により斬首された。

 

小栗忠順 - Wikipediaには、その生涯が詳しく紹介されている。

 

薩長連合がイギリスと組む中で、幕府はフランスと組んだ。

横須賀造船所の建設開始があと数年早かったら歴史は変わっていたからも知れない。

 

昔の門も残っていた。

以下は標柱の説明。

逸見波止場正門 横須賀市指定市民文化遺産

旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰め所。左右二棟あり、左側には「逸見上陸場」、右側には「軍港逸見門」と表示されている。建築年代は、明治末から大正初期と思われる。

 

「逸見上陸場」とある方の詰め所。

 

隣の桜は満開だった。

 

公園からは対岸に護衛艦「いずも」がよく見えた。波止場で音楽隊が練習中?で水面を越えて聞き慣れたマーチがよく響いていた。

 

さきほどの詰め所の近くにはカフェレストラン・コルセールがある。

 

平日限定ワンコインカレーを食した。

 

大きなガラス窓で港がよく見える。テラス席もあった。

 

その後、外に出るとちょうどクルーズ船が出るところだった。背後に潜水艦が停泊している。

 

ウッドデッキが気持ちよかった。

 

対岸に旧横須賀製鉄所(造船所)があった。

 

説明板。

近代日本のルーツ 横須賀製鉄所

世界遺産の富岡製糸場のモデルとなった横須賀製鉄所(のちの横須賀造船所)は、現在のヴェルニー公園の対岸あたりに、慶応元年(1865年)の鍬入れ式から様々な施設が建設され、横須賀の街とともに発展しました。

最新の加工機械などが導入され、日本の近代化の礎を築くとともに、日曜休日制や労働時間、メートル法、健康診断などの新しい仕組みが横須賀製鉄所で始まりました。

また、正面に見えるドライドックは、当時は欧米先進国にも負けないものだったとされ、現在も現役で使用されています。

(左図は、明治14年・1881年発行の「横須賀一覧図」で、当時の横須賀製鉄所の様子が描かれています。当時の横須賀製鉄所は観光地であり、この図は観光客のお土産として配れれていました)

 

「横須賀一覧図」 活気が伝わってくる。

 

ドライドックは現役。

ドライドックとは、艦船を修理するために使う施設です。正面に見える3基のドライドックは、向かって右から第1号、第2号、第3号と並んでいます。

水面近くに「A」「B」の文字がある鉄の板が見えますが、それがドックの扉です。明治4年(1871)に完成した1号ドックは日本最古の西洋式の石造ドックで、今も現役で使われています。

 

 写真部分のアップ。

 

グーグルアースでも。現在は米海軍基地内で左下の対岸にヴェルニー公園がある。

 

対岸からはドックの扉だけ見えた。

 

 グーグルアースでは少し北のドライドックで修復中の米軍艦もよく見えた。

つづく。