前回のつづき。
国分寺駅で乗り換えるときに、駅近の「国指定名勝」に立ち寄った。
南口へ降りて左手、バス乗り場の向いにある。
東京都立の殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)
庭園の名前は、かつての地名、国分寺村殿ヶ谷戸に由来するそうだ。
詳しい説明板。市民によって商業地域化から守られていた。
国指定名勝 殿ヶ谷戸庭園
・指定日 平成23年9月21日
・指定理由 同時代に作庭された類似の武蔵野の別荘庭園の中でも当時の風致景観を最もよく残し、芸術上の価値が高いため
・由来
三菱合資会社の社員で、後に南満州鉄道副総裁から貴族院議員にもなった江口定條(えぐちさだえ:1865~1946)は、大正2年から4年(1913~1915)にこの地に別荘を構え、随冝園(ずいぎえん)と命名しました。昭和4年(1929)に、三菱合資会社の経営者であった岩崎彦彌太(1895~1967)が江口家から別荘を買い取り、「国分寺の家」として親しむようになりました。彦彌太は、昭和9年(1934)に和洋折衷の木造主屋に建て替え、庭園建築として紅葉亭を新築するとともに、主屋前面の芝生地と崖線下方の清水及び園池とを結んで、回遊式庭園を完成させました。
昭和47年(1972)、この地域一帯を商業地域化する案が出されましたが、庭園とその自然環境を保存すべきだという意見が、市民運動となって湧き起こりました。その結果、昭和49年(1974)に市民の声に応えて東京都が買収し、昭和54年(1979)4月から都立庭園として一般公開されました。
・見どころ
当庭園は、国分寺崖線(通称ハケ)と呼ばれる崖地を巧みに利用した回遊式庭園です。本館前の広々とした芝生の開放感と、いけを眼下に見下ろす紅葉亭からの眺望の緊張感が見事な調和を見せています。手入れの行き届いた植栽と、赤松やコナラなどの多様な自然植生が渾然一体となっており、訪れる野鳥の声が絶えません。
春には身体中を緑に染める新緑、秋には華麗な紅葉に飾られ景観を日々多彩に変化させています。
ハケからは旧石器時代や縄文時代の人びとが飲料水として利用していた清冽な清水が湧き出だして池を満たしています。
残り少なくなった武蔵野の野草に、四季折々出会えるのもこの庭園の楽しみのひとつです。
門から券売窓口までの間に年代物の建物がチラリと見えた。昭和13年築造だった。
入園してまず目に入るのは広い芝生。
広がる木立の枝。
芝生広場の端から振り返って北方向。面積2.1haなので日比谷公園の8分の1ほど、小石川後楽園の3分の1でそれほど広くはない。
が、高低差は大きい。
名前がわかりません。
見事な竹林がある。その外側は住宅地。
カタクリもまだ咲いていた。
群落で。
湧水源の表示板。
たしかにこんこんと湧き出ていた。
こちらは人工の滝。
斜面があって、湧水があって池がある。
殿ヶ谷戸庭園は「大正から昭和初期の同時代に作庭された類似の武蔵野の別荘庭園の中でも当時の風致景観を最もよく残しており、その芸術上の価値も高い」と評価されて名勝指定を受けている。
線路に近いので電車の音は聞こえるが、崖下になるので駅前とは思えない静けさ。
水が清らかだから水底も綺麗。
崖上のあずま屋から見る斜面。
鹿威しの音が響いていた。
文政7年(1824)の馬頭観音の碑。
芝生が青々とする季節にも訪ねたい。
一部だけ残った建物。
内部は展示室になっていた。
白い部分が現存する。
窓ガラスは厚みが均一でない古いものだった。
桜がないおかげ(?)で、ここは静かな春だった。
紅葉の季節は賑わうようだ。