3月の最終日曜日、先輩のNさんの墓参に行った。
自分は毎年一回、夏の登山を十数年継続している。その山仲間(というより師)であったNさんが2月に急逝した。
昨年夏前に体調が思わしくないとのことで夏の山行には参加されず、その後に連絡を取ると白血病で入院中とのことだった。
12月にお見舞いに行ったが、無菌室に入っておられて面会謝絶。買って行った山の立体地図だけお渡しした。
立体地図 クニャマップ 山手線南エリア(渋谷区・港区・目黒区周辺)版
年明けに再び病院へ行くと、今度は会って話をすることができ、ご所望と聞いていたコミック「茶柱倶楽部」を1巻から8巻まで揃えて渡すことができた。
そのときはとても元気そうで、今年は無理そうだが治ったらまた山へ行きたいと言われていた。
タイミングよく保険に入ったおかげで個室に入ることができたとのことで、その部屋からはきれいな富士山の眺めがあった。
白血病の治療では、悪玉とともに善玉の白血球も一旦減らしてから、善玉の方を増やしていくという方法が採られていて、減らしている期間は無菌室に入らなければならない。お見舞いした直後に、2度目か3度目になるその「減らす」期間に入るところだった。
先週、自分はそろそろお見舞いにと思っていた矢先だったが、何週間も前に亡くなられていたことを人づてに聞いた。
命日は2月3日だったので前回会ってから3週間しか経っていなかった。
その方から伺った話では悪玉白血球のうちの1つがどうしても消えなかったとのことだった。
自分より一回り上の65歳、お母さんとご兄弟がいらっしゃるが御自身は独身で、山とカメラの趣味を楽しまれていた。
退職されて自由が増えた時間を存分に活かそうとされていたに違いない。
これから、という時だったが、一方で無念が残ったとも感じられないところもある。かなり”山をやっている”方で、落石など命にかかわる危ない目に遭った話も伺っていたので山行と同様、万一の覚悟はされていたのではないか。
お見舞いに行ったときも会話は不思議なほど普段どおりで、不安の様子は感じられなかった。敢えてそう振舞われたのかも知れないが。
山についての情報量が豊富で、”山行計画会議”でも「その道を降りると二股路があって両方に温泉宿があるが、右の方が炭酸泉で気持ちよい」と我々にとって核心の情報をさらりと提供される。
また、山では下山が異様に早く、こちらが難渋しているような登山路を飛ぶようにすたすた降りていって、下の小屋へ先について食事も昼寝も終わっていた、という姿に驚くこともあった。
今回は、早くも来世に往かれてしまった。
こちらは2014年夏に上った仙丈ケ岳。2人前の緑の頭巾がNさん。
仙丈ケ岳登山① 2014年8月 @南アルプス - 墳丘からの眺め
他にも十数年の間に登った、八ヶ岳や槍ヶ岳、奥穂高岳、焼岳、五龍岳、苗場山、妙高山、至仏山、雨飾山、栗駒山、白馬岳、那須岳、朝日連峰など、多くの山行が思い出に深く残っています。
雲の平や飯豊連峰など、これから一緒に行っていただきたい山も数多くありましたが、今は遥か雲の上の峰で楽しく歩き回られていることを想像します。
心よりご冥福をお祈りしています。