墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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国史跡・纏向石塚古墳 奈良県桜井市太田

前回のつづき。

JR巻向(まきむく)駅近くまで戻ってきた。そこにあった纏向(まきむく)遺跡散策マップ。

 

4つの前方後円墳を巡るBコースは2.4km。電車の時間にはまだ20分あったので、10分で行けるところまで歩いてみることにした。前日の反省があったので余裕を持って。

 

駅の西側は市街地だが、それでも風情のあるお宅がある。

 

2車線の通りに出て北へ行くと、通りの西側の広い敷地に低く残った墳丘があった。

 

2車線道と並行する細道へ。駅前のマップではこの位置が前方部の左裾で、道は前方部を斜めに突っ切っている。

 

こちらは巻向駅にあった説明板。「日本最古の古墳として注目」とある。

全長約96mの前方後円墳。後円部径と前方部長の比率が2:1となる「纏向型前方後円墳」の代表的な事例で、築造時期は3世紀前半~中頃と考えられ、日本最古の古墳として注目されています。

 

桜井市のサイトにも上空からの写真入りで紹介されている。

纒向石塚古墳(まきむくいしづかこふん)/桜井市ホームページ

後円部:前方部=2:1という比率が、子どものような感じで可愛らしい。

 

道から見る墳丘。

 

のっぺりとした墳頂。 

纒向石塚古墳 - Wikipediaによれば、太平洋戦争末期に削平されて高射砲か対空機銃の砲台が置かれたとのこと。

奥は桜井市纏向小学校で纏向石塚古墳の後円部が東側に隣接する。

 

纏向小学校はなんと3方を前方後円墳で囲まれている。北側に勝山古墳(奥の木立)

 

西に矢塚古墳(校庭の先の木立)

 

 グーグルアースで。学校の上が勝山古墳、左が矢塚古墳、右が纏向石塚古墳。

 

墳丘から東側。

右奥に三輪山がある。古墳は前方部を三輪山へ向けているように思えた。

 

周辺の古墳や纏向遺跡全体については、下記に詳細な解説があった。

纒向遺跡ってどんな遺跡?|桜井市纒向学研究センター

 

東方向パノラマ。団地もあって開けた場所。

 

小学校校庭には墳丘のような遊び場(?)があった。

 

このあたりで10分経過したので駅へ戻った。

駅手前に踏み切りがあるので余裕を持って。

 

ホームは近いので、電車が停まって踏切が開いてから乗ってくる方もおられた。

 

駅前の案内板。古墳だけでなく纏向遺跡もあるので次の機会で訪ねたい。

 

天理駅まで乗った105系。

懐かしい雰囲気があるが貫通扉は首都圏で見なかったタイプ。

天理駅着9:21。

旅のメイン・イベント、天理市主催の「ヤマト王権の古墳群を巡る考古学ツアー」の集合時間9:30にちょうど間に合った。

つづく。