前回のつづき。
JR桜井線の車窓から。この日はもやがかかっていた。
天理から巻向は4駅目。このあたりは山の辺の道が並行する。
巻向駅は細いホーム一本の無人駅。
乗って来た電車を見送る(電車の右に写っている小山が箸墓古墳だった)
改札は無い。ICカードのタッチパネルがあるだけ。
駅前の案内板は充実していた。
踏み切りを渡って駅を後にする。
最初の標識。
その方向には、うっすらと小山が見える。
その道は「山の辺の道」でもあった。
途中に跨線橋があったので上ってみた。右は箸墓古墳。
東側は三輪山に朝日。
箸墓古墳へのアプローチ。このあたりでかなり高揚してくる。
朝霧の中での出会いになった。
箸墓古墳(はしはかこふん)・箸中山古墳・大市墓
桜井市ホームページによれば、全長272m、3世紀後半頃の築造で前方後円墳の中では最古式の1つ。
宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として倭迹迹日百襲姫命(第7代孝霊天皇皇女)の墓に治定されているが、邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓ではないかとも考えられている。
箸墓古墳 - Wikipediaには、その「意義」として、古墳の規模や「全国各地に墳丘の設計図を共有していると考えられる古墳が点在している点、出土遺物に埴輪の祖形である吉備系の土器が認められる点などそれまでの墳墓とは明らかに一線を画している。また規模、埴輪などは以後の古墳のモデルとなったと考えられ当古墳の築造をもって古墳時代の開始と評価する研究者も多い」とある。
パノラマで。
周辺地図の案内板があった。
そこにあった箸墓古墳の航空写真。美しい鍵穴形をしている。
現在地は左上の直角の場所になる。
グーグルアースで。こちらは北が上。
周濠に飛び出すような位置に、卑弥呼の庭というカフェがあったが営業時間外。
右が前方部で左が後円部。周濠は箸中大池として「ため池百選」に選ばれている。
手前が箸墓墳丘、左奥にうっすらと三輪山。
周壕には2羽の鷺?
くびれ部の上から朝日が差し込んでいた。
墳丘の周囲には柵と宮内庁の立入禁止標識がある。
上記の場所から内側の前方部左側斜面。
前方部先端に歩ける道がついていた。
その先には遥拝所があった。
参拝させていただいて、清々しい気持ちになった。
どちらの遥拝所でも玉砂利がきれいに整えられている。
墳丘上は鬱蒼とした森になっている。
前方部右裾からは道路に接していた。
左手が遥拝所。
手前が前方部。くびれ部に沿って道がカーブして奥が後円部。
くびれ部あたりの墳丘。
後円部にさしかかっての曲線。
宮内庁管理の門があった。
そのあたりから振り返って。まさに見たかった風景。
関東からはちょっと遠い、まだ見ぬ古墳 「遠くへ行きたい」 #地元発見伝 - 墳丘からの眺め
後円部の周囲には住宅もある。
振り返って右が後円部。
道路の下は暗渠になっているようで水流の音が響いていた。
後円部にかかるような敷地に和菓子屋さんがあった。
その先を回っていくと初めに見た周濠へ出て一周となった。
箸墓古墳 - Wikipediaの築造時期の項には以下の記述もあった。
箸墓古墳よりも古いと考えられている纒向石塚墳丘墓などの突出部と箸墓古墳の前方部との形状が類似していること、渡り土手を備えていること、周濠が墳丘の規模に比べ狭いことなど分かってきた。それらのことから箸墓古墳は弥生時代の墳丘墓が飛躍的に巨大化したものであり、弥生墳丘墓の諸要素を継承したものであると考えられている。
日本最古の前方後円墳などと紹介されるが、箸墓よりも築造が早かったともされる出現期の前方後円墳(ホケノ山古墳、纒向勝山古墳、纒向矢塚古墳、神門5号墳、神門4号墳、辻畑古墳)が多数ある。
ちなみに神門5号墳は千葉県市原市に今も残る(4号墳は消滅)
神門5号墳 戸隠神社(本郷古墳群) 千葉県市原市 - 墳丘からの眺め
墳丘には入れないものの、穏やかな早春の朝にゆっくり一巡りさせていただいて、とても満ち足りた気持ちになった。
天候や季節などの条件に左右されるのだと思うが、箸墓古墳は訪れるこちらを受け入れてくれるオープンな雰囲気を醸し出しているような気がした。
つづく。