墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

国史跡・牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県高市郡明日香村越

前回のつづき、直線距離では500mほど西にある牽牛子塚(けんごしづか)古墳を目指した。まず岩屋山古墳を出て右へ。

 

きれいに残っている大きな道標があった。左はおかてら、右は・・・ 

こちらの方のブログに詳しかった。

175-明日香村越の道標-2 (近鉄飛鳥駅西)|奈良県の道標集め

道は西の「ちわら(茅原)」「ごせ(後所)」へ向う旧街道だった。安政5年(1858)の建立。

 

道沿いには美しい板塀のお宅。

 

石垣や蔵も見事。

 

古道の風情を残す、ゆるやかな上り坂を早足で歩く。

 

上りきったところに、許世都比古命神社。外から参拝。

 

道沿いの案内表示に従っていくと2車線道路に出た。

 

道路脇に広がる田園風景。

 

表示板に従って奈良県農民組合があるところで右折。センターの左の道を入る。

(歩きながら撮ってぶれました)

 

表示板のない二股路。左にカンス塚(真弓鑵子塚古墳)の表示があるのみ。方角的には右なのでそちらへ。

 

道はさらに先で二手に。台地下に下りることはないと思い右手へ。

 

すると急に道がさびしくなってきた。

 

不安になってきたところで、シートをかぶった物体が見えてきた。

 

回り込んでいくと「史蹟」の石碑が建っていてほっとする。

 

解説板もあった。

解説 史跡 牽牛子塚古墳

万葉集」に多く詠れた真弓丘陵の一画に位置している。墳丘は版築によって築成されている。墳丘の北西部に花崗岩の切石3個が露出しており、これを外護列石とする二段築成の八角形墳の可能性が高い。墓室は巨大な凝灰岩をくり抜いた横穴式石槨で、中央部に間仕切部を削り出す2室の複室構造をしており、当初から追葬を意識して石槨を製作したものと考えられる。それぞれの石室の床には長さ1.9m、幅0.8m、高さ0.1mの低い棺台を削り出す。夾紵棺(きょうちょかん)の破片や七宝金具などが出土し重要文化財に指定されている。

奈良県高市郡明日香村大字越

 

外護列石という言葉が使われているが、当古墳はその表面を通常の古墳のように葺石で仕上げた(手で持てるような大きさの石を並べて覆った)のではなく、まるでピラミッドのように大きな切石を八角形になるように設置して仕上たようだ。

「牽牛子」は朝顔の意味だそう。後の人が八角墳を、朝顔の花を伏せたような形に見たてたのだろうか。

 

シートが開いた部分で石室内を覗くこともできた。

 

 石段を下がったところに、鍵のかかった四角い出入り口があった。手前に斜めに倒れているのはもともとの外扉。

 

中央に柱壁があって左右2つに部屋を分けていた。

 

玄関をはいったらすぐベッド、という感じ。

 

右側の石室。

 

岩をくりぬいてつくられていた。

 

明日香村のサイト牽牛子塚古墳 |指定文化財 |文化財によれば、築造年代は7世紀後半頃と考えられ、「被葬者については古墳の立地や歯牙等から斉明天皇と間人皇女の合葬墓と考える説が有力」とあった。

 

巨石については牽牛子塚古墳 - Wikipediaに下記の記述があった。

横口式石槨は、約80トンの重量をもつ1個の巨大な凝灰角礫岩をくりぬいて、約70トンの埋葬施設をつくったもので、巨石は約15キロメートル離れた二上山西麓より運搬したものと考えられる。

 

古墳全体に使用された石の総重量は550トン以上と考えられる。運搬には丸太(ころ)を用いても数百人、地面を引きずったとすれば1,400人もの人員が必要であり、これについては、巨石を大勢で長距離運ぶこと自体に律令国家の権力を誇示する意図があったという見方がある。

 

ちなみに石舞台の石は総重量2300トンと桁違いだが、古墳のかたわらを流れる冬野川の上流約3キロメートルの多武峰のふもとから運ばれたとあった。石舞台古墳 - Wikipedia

重さと距離をかけると、こちらの方が大変だったかも。

・石舞台  2300トン×3km=6900㌔㌧

・牽牛子塚 550トン×15km=8250㌔㌧

 

あとで知ったこちらの方のブログには、2010年の現地説明会や、すぐ下で見つかった越塚御門古墳の様子が詳しく紹介されていて非常に興味深かった。

牽牛子塚古墳

 

 

墳丘上に行くことはできなかった。

 

が、墳丘は台地の先端部に造られていて、石室前からの眺めも素晴らしかった。

深呼吸したくなる風景。

 

駅に戻るとき時間を読み間違えて、踏み切りを渡る時に電車が来るのが見えた。上りホームは一旦階段で地下を通る。階段を上る途中でドアが閉まった。

近鉄JR東日本のように発車チャイムがなく、人の乗降が終わるとすぐにドアが閉まることを学んだ。

ここで左足すねをツリ気味にしてしまい、残り2日も早足は難しくなった。

じっくりゆっくり歩きなさいというメッセージだったのでしょう。そもそも駆け込み乗車は危険ですね。

 

ホームの「ごあんない」を見ると、駅から徒歩圏内に驚くほどたくさんの古墳や寺社があった。

 

通過電車を見送る。

実は一駅となりの岡寺駅へ行くだけだったので、牽牛子塚古墳から歩いても20分ほどだったことを後で気づいた。

つづく。