前回のつづき。
飛鳥駅前から北側の踏み切りを西側に渡り最初の分かれ道を右折。
板塀の家が並ぶいい感じの路地を進む。
と、いきなり右側に岩屋山古墳の墳丘が現れる。
説明板もあった。
岩屋山古墳 古墳時代終末期の7世紀代、横穴式石室を持つ方墳(54m四方)
史跡 岩屋山古墳
岩屋山古墳は、7世紀代の一辺約54m、高さ約12mの方墳と推定されており、墳丘の西半分は現在失われている。石室は南面に開口する横穴式石室で、花崗岩の切石を用いて構築されている。石室の規模は全長約16.7m、玄室は長さ約4.72m、幅約2.7m、高さで側壁、奥壁二段に切石を積み、下段はほぼ垂直に上段は内側に傾斜している。
羨道は、長さ約12m、幅約1.9mで、入口側の側石は二段積みとなる。羨道南端の天井石には閉塞施設のための溝が切り込まれていることや、一段高くなっていることにも特徴がある。また玄関南側の床面には集水のための円形の掘りこみがあり、ここから羨道のほぼ中軸に並行して排水溝が設けられている。明日香村
整備された石段を上がる。
直線で切られた石できれいに組まれた石室が開口していた。
石室内から。
内部には何も残っておらず大きな奥壁に行きあたる。
奥壁と天井石との接続部分。上段は台形になっている。見事な平面の天井。
一段目と二段目とのラインは、左右の壁とのぴったり。
羨道の天井も、現代のプロ職人が仕上げたような平滑さ。角に丸みもある。
奥壁から入口方向。羨道の天井石も巨大。
床から天井までの一枚岩が並ぶ羨道の側壁。
石を複雑に組み合わせた部分もあった。後世石垣にも使われていく当時の最新技術だったのではないか。
中を堪能した後は外へ。岩屋山古墳は墳丘にも上がれる。
石室入口上から。
墳頂には桜の木。
それほど広くはない墳頂だった。
しかし墳丘からの眺めはGOOD!
(ブログタイトルどおりのエントリができて嬉しいです)
視線の方向には飛鳥の遺跡。山裾に石舞台古墳や高松塚古墳、キトラ古墳などがあるはず。
右側に目を転じると、瓦屋根の町並み。
登って来た入口。
北東方向には欽明天皇陵に治定められる梅山古墳が見えた。
次の電車までの時間が20分近くあったので、徒歩圏内の近くにある牽牛子塚古墳(けんごしづか)も訪ねることにした。
つづく。