畠山(はたけやま)記念館は、地下鉄高輪台駅から徒歩5分、白金の台地の縁にある。
以下は公式サイト畠山記念館について|畠山記念館より。
荏原製作所の創始者、畠山一清(1881~1971)が蒐集した茶道具、書画、当時、漆芸、能装束などの国宝6件(林檎花図、煙寺晩鐘図など)、重文32件を含む約1300件を所蔵し、季節ごとに作品を選んで展示する。
昭和初期まで旧寺島宗則伯爵邸だった約三千坪の敷地を購入して、奈良般若寺の遺構や加賀前田家重臣横山家の能舞台などを移築、私邸「般若苑」を造営して昭和18年に開苑、昭和39年に畠山記念館を開館させた。
大きな畠山家の家紋が入る重厚な門が入口。
入口は坂道を少し下ったとこにある。北隣はテラス白金という御殿。
あとで検索したら、こちらの方のブログに、かつては畠山氏の敷地で現在は、”とある方”の個人邸宅であることが書かれていて興味深かった。
畠山記念館 隣接「テラス白金」の検索結果、地図表示が2015年2月11〜15日の間に変更されました。 ( 住居 ) - 黄色い蛇足@日立柏酒場裏 - Yahoo!ブログ
現在の園内の案内図。説明にある「三千坪」の5分の1くらいか。
かつての敷地の一部だったお隣に聳える白亜の豪邸。
門から記念館入口までは、森の小路のようなアプローチ。
アプローチでは山側が低くなっていた。中央に井戸があるのでそのために掘ったのか。
明治13年には寺島邸だったこの地で”天覧能”が催されている。
銅像は畠山社長還暦祝いの像(左)と井口在屋先生(タービンポンプの発明者)像(右)
荏原製作所のポンプは三河島水再生センターで見た。解説パネルには井口在屋(いのぐちありや)博士の名も記されていた。
重要文化財 旧三河島汚水処分場喞筒場施設(三河島水再生センター) 東京都荒川区荒川 - 墳丘からの眺め
亀岡十勝の詩文の碑。
その説明板。江戸期は島津家の一万坪の敷地にあり、景勝地でもあった。
亀岡十勝の詩碑
この林園は、寛文9年(1669)薩摩の島津家が幕府から一万坪の地を下付されたもので、26代藩主、重豪(しげひで)のとき隠居して別荘を営み、苑内の景勝を選んで亀岡十勝と称しました。
ここに紀州大納言以下9名の文人諸侯および林 大学頭による七言律詩の詩碑が建てられたのは文化元年(1804)でした。
明治維新の後、参議 寺島宗則の所有となり、明治13年6月9日、明治天皇が行幸して観能されたので、聖跡に指定されました。
記念館建物は木々の間にあった。
正面の赤松は樹齢300年。
赤松の近くから入口方向を振り返って。敷地は狭くなったが深山幽谷の趣は残る。
販売されていた絵葉書を見ると、しだれ桜や新緑、紅葉がとても美しかった。
そして記念館内部へ。
畠山即翁自身の発案による、日本建築を取入れた鉄筋コンクリート造りの建物。
玄関でスリッパに履き替える。
入館料は一般700円。
現在は「春に想う 梅・椿・桜・桃」展を開催中。
前期(1/16~2/11)まで梅・椿をテーマとした作品、後期(2/13~3/13)が桜・桃を展示とし、半数ほどが入れ替わる。
このときは前期で、酒井抱一の「梅・椿に鶯図」や呉春の「朝日梅図」、尾形乾山の「色絵福寿文手鉢」(通期)などを見ることができた。
展示室内には茶室「省庵」と茶庭も造られている。
展示室(2階)は撮影禁止。フォトギャラリー|畠山記念館
1階の様子。
平櫛田中の作による畠山即翁寿像(即翁が号)
像の傍らに「開館の趣旨」が謳われていた。
階段脇に置かれていた長持。丸に十字は島津家の家紋?
苑内には複数の御茶室があり有料で利用できる。貸出施設案内|畠山記念館
一番奥にある浄楽亭。
沙那庵。
明月軒。
観覧後に外に出て敷地沿いに下ってみた。記念館駐車場の壁の上が明月軒などの御茶室。結構な高低差であることがわかる。
このあと周囲も散策した。
つづく。