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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

鹿島古墳群・後編 埼玉県深谷市(旧 川本町)

埼玉県の古墳、寺社、遺跡 建築物、公園、街道、坂道

鹿島古墳公園はその東端に入口がある。

 

上記の背面が駐車場。

 

鹿島古墳公園案内図。下が北。林になっているところは崖下の河川敷になる。

 

上図の右部分。最初に行った農家の辺りにいくつもの円墳の印(緑の丸)があった。

 

この案内図がある位置。

 

その隣に説明板もあった。

鹿島の古墳

古墳とは今から1700年前から1400年前頃にこの地域の有力者を埋葬するために造られた墓で、土を高く盛り上げてその内部に遺骸を埋葬する場所が設けられています。

古墳の形は、平面形から前夫後円墳や円墳、方墳など様々な形がありますが、鹿島古墳群は円墳だけで構成されています。このように小さな円墳が密集する古墳群を特に「群集墳」と呼び、鹿島古墳群はその規模から県内を代表する群衆墳です。

鹿島古墳群では、遺骸を埋葬する施設として荒川の河原石を積み上げた長さ4m、幅2m前後の楕円形の石室が築かれています。また、出入りできる入り口が設けられ、こうした石室を横穴式石室と呼びます。この石室には、遺骸とともに生前使用していた大刀や弓矢、刀子などが副葬されました。鹿島古墳群では大刀などの武器類が多く出土しています。

また墳丘の表面は河原石で飾られており、築造した当時は草や木に覆われた現在のイメージとは異なった、白く輝く荘厳な姿であったようです。

埼玉県教育委員会 川本町教育委員会

 

さて、ここからが前回のつづき。2つ上の写真の右端あたりの位置になる。

 

崖沿いに並ぶ木々。

 

その1本の根元には土盛り。これも円墳か。

 

これははっきりした円墳。

 

「67号古墳」の表示板が落ちていた。

 

その墳丘からの眺め。遠くに秩父の山々。

 

崖下の河川敷の方向。

 

葺き石も残っていた。

 

さらに進むと徐々に公園の幅が広がってきた。

 

上記の右端の小ぶりな円墳。

 

こちらは少し高さがある墳丘。

 

こちらも墳丘。風のない、暖かい墳行日和だった。

 

石碑で祀られたような場所があった。左から2番目は石室の部材ではないか。

 

こちらも別の墳丘。

 

こちらの墳丘には説明版の「跡」が。

 

もう判読できない。ryoさん(id:ochi_cochi)に気に入ってもらえそうな物件。

 

やっと終点が見えてきた。

 

小ぶりな墳丘。

 

こちらにも。

 

その裏側には説明板があった。

 

こちらの案内板は錆びていないが文字が剥がれそうだった。

説明板は少しずつ情報に違いがあるのでこちらも転記。

鹿島古墳群(埼玉県指定史跡)

鹿島古墳群は、荒川右岸河岸段丘上に東西約1kmにわたって帯状に分布しています。古墳は径10m~30m程の円墳で、荒川よりに密集して分布し、大水によって流された古墳も数多くあったと伝えられています。

現在、県指定地の中には56基の円墳が保存され、指定地南側で発掘された27基の古墳やすでに失われた古墳をあわせると百基を越す大古墳群であったと推定されます。埴輪が立てられた古墳は少なく、7世紀を中心に8世紀初頭に至るまで次から次に築造された古墳時代最終末の古墳群と考えられています。

川本町内には鹿島古墳群のほかにも箱崎古墳群、塚原古墳群が分布し、合計300基近い古墳が確認されています。また、奈良時代には周辺に古代寺院や集落遺跡が発見され、古墳時代から奈良時代にかけて、この地域(男衾郡)の中心地として栄えていたようです。

鹿島古墳群は、この地域の歴史を代表する貴重な遺跡として、昭和47年に埼玉県指定史跡に指定され、現在広く活用していただくために古墳公園として整備を進めています。

埼玉県教育委員会 川本町教育委員会

 

緑の部分が古墳公園なので、現在畑となっている場所にも幾つも円墳があったことがわかる。

 

こちらも墳丘。

 

こちらも。多分同じ墳丘の写真ではない。

 

こちらは上に石板が立っている。

 

 

草むらのような墳丘。

 

この木立の下にも土盛りがあった。

 

この墳丘の向こうが東端。本エントリの一番初めの写真の場所になる。

左の奥に川へ下りる道があったので川まで往復したが、それは次のエントリで。

 

古墳公園の柵の外の道をもと来たほうへ向った。

途中にあった案内柱。

 

道の反対側には「古墳」の説明板があった。

わかりやすくまとめられているので、こちらも転記。

古墳

古墳とは、土を高く盛り上げ、内部に遺体を葬るための施設や副葬品が埋納されている墳墓である。築造は一般に3世紀後半から7世紀末までで、古墳時代と呼ばれている。

古墳の形には、前方後円墳、円墳、方墳などがあり、墳丘には埴輪が置かれ、外側には周溝がめぐっている。埋葬施設には、粘土槨、竪穴式石室、横穴式石室がある。

県内には現在約3000基の古墳があるが、最古の古墳は4世紀末の桶川市熊野神社古墳(円墳、粘土槨)とされている。5~6世紀中ごろは、畿内の政権と政治的に結びついた首長の墳墓、すなわち行田市埼玉古墳群に代表されるような大型の前方後円墳が盛んに築造された。6世紀末から7世紀末になると、鹿島古墳群のように小円墳が密集する群集墳が各地に出現する。

またこの時期には、吉見百穴のような横穴墓群が比企、入間地方に造られた。

平成11年9月 埼玉県

 

埼玉古墳群と吉見百穴は、どちらも大迫力だった。 

八幡山古墳 埼玉古墳群 - 墳丘からの眺め

吉見百穴、野本将軍塚古墳、菅谷館跡、稲荷塚古墳 - 墳丘からの眺め

 

 

このあたりは桜並木。菜の花も咲くようだ。

 

道の反対側は緑の畑。

 

ブロッコリーがあった。

 

秩父の山々。

つづく。