朝の浜離宮入口。観光客で賑わう前の時間。
門の脇には立派な石垣がある。説明版は”昭和”23年のもの。
旧浜離宮庭園 沿革
この地はもと将軍家鷹狩の場所であったが、承応年間 松平綱重の別邸となり、甲府浜屋敷または海手屋敷といわれた。ついで六代将軍 徳川家宣これを改めて浜御殿と改称し、大いに改修を行い景観を整えた園内には、茶園、火薬所、織殿等が営まれ幕末には、石造洋館、延遼館の建設をみた。維新後、宮内省所管となり、園地を復旧し、皇室園遊の地にあてられ、名も浜離宮と改められた。諸外国貴賓来訪の際には、延遼館はその迎賓館にあてられ明治天皇も賜宴のためしばしば本園に行幸せられ、特に明治12年、米国前大統領グラント将軍が、わが国を訪問せられた際には親しく本園中の島茶屋において引見せられた。園は江戸時代に発達した大名庭園の代表的なものであって現存する汐入の庭の典型的なものとして貴重な文化財である。昭和23年12月 文部省
門の内側の石垣は、外側より少し粗い積み。
入場料は大人300円。9時~17時開園で休みは年末年始のみ。
沿革は公式サイトにも詳しい。
全体面積は25haとTDL(51ha)の半分ほどになり、かなり広い。
入ってすぐの左側にある「三百年の松」
宝永6年(1709年)に植えられたと伝えられる都内最大級の黒松。
横から見ると、堤の反対側から生えて公園側にせり出していることがわかる。大迫力。
園内の内堀
江戸時代、上方や長崎からの物資を江戸城に入れるための中継所で、荷揚げ用の階段が復元されている。石積みは間知石(けんちいし)
そのまま海とつながっていて海水が出入りする。
かつての籾倉跡では季節の花のお花畑がつくられる。今は菜の花の養生中。
まだ背は低いが、もうすぐ咲きそうな雰囲気。
その隣は広い芝生。
芝生の反対側から見ると、屏風のようなビル群が背景になる。
野趣あふれる小道もそこここにある。
円墳のような築山も。
水仙の群落があった。
少し高い土盛りは御亭山(おちょうやま)
上からは潮入の池がよく見えた。左奥は東京タワー。
その反対側は隅田川方向。右奥はお台場のフジテレビ社屋。
池には多くのカモが休んでいた。
桜の木々の一角。さすがにまだ早い。
一番南の奥にある富士見山。
しっかりと石段がある。
頂上からのパノラマ。
橋は、視線を動かしながら眺めを楽しむようにできている。
修復中の石橋もあった。胸まで池につかって作業されている方もあった。
静かな水面の一角。
ひっそりと軍神の銅像があった。
可美真手命(うましまでのみこと)
饒速日命(にぎはやひのみこと)の皇子で、神武天皇の東方遠征に従い、手柄をたてたと言われる軍神の銅像です。
明治27年(1894)明治天皇の銀婚式を記念して陸軍省が行なった懸賞募集に当選した作品であります。台座には、佐野昭政策、鈴木長古鋳と記されています。
芳梅亭は一般利用できる。ここで会議などできれば贅沢。
花木園では、ちらほら花が咲いていた。
コブクザクラ
近くで見ると、小さな八重の白い花。
ジュウガツザクラの梢。
ロウバイの、高貴な香りが漂っていた。
3,4株あったが、花の盛りは過ぎていた。
昨年に妻が群馬で写したような、透き通るような花弁は見当たらなかった。
一部(の広い範囲)で遺構調査中。
明治期の迎賓施設、延遼館の遺構だった。
囲い壁には、当時の写真もあった。和館であることが興味深い。
なんと2020年までに迎賓施設として整備(復元?)されるそうだ。
これは楽しみ。