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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

弘法寺古墳 再訪 千葉県市川市真間

前回のつづき。

この日(12/19)最後の訪問地。市川の弘法寺(ぐほうじ)古墳

せっかく京成線の高砂駅に出たので、4駅先の市川真間駅で下車して弘法寺へ歩いた。

北へ向かって進むと台地の裾のお寺に市川市教育委員会の解説板を見つけた。

真間之井と亀井院

万葉の歌人高橋虫麻呂は、手児奈が真間の井で水を汲んだという伝承を聞いて、

「勝鹿(かつしか)の真間の井を見れば立ち平し(たちならし) 水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」

(葛飾の真間の井を見ると、いつもここに立って水をくんだという手児奈が偲ばれる)の歌を残した。この真間の井は亀井院にある井戸がそれであると伝えられている。

亀井院は寛永12年(1635)真間山弘法寺の十一世日立上人が弘法寺貫主の隠居寺として建立したもので、当初「瓶井坊」と称された。瓶井とは湧き水がちょうど瓶に水を湛えたように満ちていたところから付けられたものである。

その後、元禄9年(1696)の春、鈴木長頼は亡父長常を瓶井坊に葬り、その菩提を弔うために坊を修復したのである。以来瓶井坊は鈴木院(れいぼくいん)とよばれるようになった。

長頼は当時弘法寺の十七世日貞上人と図り万葉集に歌われた「真間の井」、「真間の娘子(おとめ:手児奈)の墓」、「継橋(つぎはし)」の所在を後世に継承するため、それぞれの地に銘文を刻んだ碑を建てた。本寺の入口にあるのがその時の真間之井の碑である。

長頼没後、鈴木家は衰え鈴木院の名称も、また亀井坊と改められた。これは井のそばに霊亀が現れたからといわれている。

北原白秋が亀井院で生活したのは、大正5年5月中旬からひと月半にわたってのことである。それは彼の生涯で最も生活の困窮した時代であった。

「米櫃に米の幽か(かすか)に音するは 白玉のごと果敢(はかな)かりけり」

この歌は当時の生活を如実に表現している。こうした中にあって真間の井に関しては次の一首を残している。

「蕗の葉に亀井の水のあふるれば 蛙啼くなりかつしかの真間」

その後、江戸川を渡った小岩の川べりに建つ離れを借りて暮したが、これを紫烟草舎とよんでいる。昭和58年3月 市川市教育委員会

 

夕方の静かな境内。

 

お堂の左に気になる入り口があった。

 

くぐった先には井戸と池があった。台地の端は湧水が豊か。

 

お寺の前の道を東へ向かうとすぐに手児奈霊堂がある。

 

住宅の間の参道を入口側へ戻ると手児奈霊堂の碑がある。

 

万葉集に歌われた美女がいた地。

美女ゆえの不幸、の伝説の方は公式サイトに詳しい。

手児奈堂について

 

その場所は弘法寺への参道でもあった。

 

階段を上ると弘法寺の山門。

 

門を入って左の奥へ行くと崖際に古墳がある。立ち入り禁止の柵が出来ていた。

 

2年前に訪ねたときの様子。

昨年下記のフォーラムを聴講したときに、弘法寺古墳で石室が見つかったことと、崩落防止の工事が行なわれることを伺っていた。

 

消滅しそうな鰭ヶ崎三本松古墳を見たあとに、保存工事が行なわれた弘法寺古墳を確認したくてここを訪れた。

全長43m、6世紀後半~7世紀前半に築造された前方後円墳はしっかり残っていた。

 

後で崖下側から確認しようとしたが木々が繁っていて難しかった。

 

境内には夕陽を浴びた紅葉も。

 

山門から右側へ行った眺めのよい小公園。

 

弘法寺古墳からも同様の眺めがあったはず。

 

空はまだ明るかった。

 

登って来た石段を降りる。

 

石段の途中にあった説明板。上記の石段から先の通りは上総国府へ続くメインルートだった。

足の音せずに行かむ駒もが葛飾の 真間の継橋やまず通はむ 

作者不詳 巻14 雑歌

真間の継橋は、弘法寺の山門から国道14号に至る大門通りに架けられた橋で、現在は道の両側に赤く塗ったコンクリート造りの欄干が取り付けられています。

この大門通りは、上総国府から海岸沿いに市川砂洲を通って下総国府(国府台)に入るメインルートでした。しかし国府への入口には真間の入江が開口し、そこには幾つかの洲が出来ていたものを思われます。その洲から洲に掛けられた橋だとすると「継橋」とは複数の橋であったかも知れません。

位置としては現在とそんなに違った場所ではないと思われます。既に元禄9年(1696)に鈴木長頼が弘法寺の日貞上人と相談して、忘れ去られようとしている万葉の古跡に碑を建てました。現在の継橋の袂にその碑が残されています。

「足音をせずに行く駒がほしい。葛飾の真間の継橋をいつも女のもとに通いたい」と訳されています。平成2年3月 市川市教育委員会

 

 すぐ先には真間川が流れる。この先が江戸川。

 

ヒッチコック状態になっているお宅があった。

 

江戸川への水門を真間川側から。

 

江戸川に沿って国府台駅へ向った。上流方向。右奥が国府台。

 

江戸川鉄橋を渡る京成電車

 

弘法寺へは国府台駅の方が近いかも。

 

周辺案内図には国府台上にある「法皇古墳」と「明戸古墳石棺」は記載されていた。

 

どちらも訪ねてから2年半になる。

 

 ホームの端から見た江戸川鉄橋。

 

富士山とスカイツリーが見えた。